ヤクルトの監督となった関根潤三は掛布雅之、ランディ・バース、ノーラン・ライアンの獲得を企てた (2ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi

【オレたちが我慢しよう】

 チーム改革の軸として期待していたのが、入団4年目を迎えていた池山であり、同じく3年目の広沢だった。期待の若手ふたりには、関根自らつきっきりで指導していたという。

「あのふたりは関根さんが見ていました。キャンプではつきっきりで指導していました。関根さんは、ティーバッティングというのは、バッティングする前の予備練習であって、『本当にバッティングをつくるのはスイングだ』と考えていました。ひたすらスイングすることによってバッティングの形ができる。そういう考えです。とにかくあのふたりは徹底してしごかれていました。今でもたまに会うけど、イケもトラも、『関根さん時代の練習量は本当にすごかった。あの時は殺されるかと思いましたよ』と笑っていました」

 間近で見る「関根監督」は、安藤にとって「我慢強い指揮官」という印象が強い。今でも忘れられない場面について振り返る。

「栗山(英樹)が三塁打を打ったんです。神宮球場だというのは覚えているんだけど、ノーアウト三塁。それで、池山、パリッシュ、広沢に回りました。私としては、『1点は入るだろう』と思っていたら、3人とも三振。試合後の反省会で関根さんに、『せめてノーアウト三塁の時には、もう少しチームバッティングを考えろと指示しましょうか?』って言ったんです」

 この瞬間の関根の表情、そして言葉が今でも忘れられない。安藤が続ける。

「でも関根さんは、『アンちゃん、オレらが我慢しようや』と淡々と言うんです。『あのバッターボックスで、三振しようと考えているヤツはいない。いつも悪い結果ばかり続いたら、さすがに恥ずかしくなる。そうすれば彼らも自分から考えてやるようになるから、オレたちが我慢しよう』って。そして『今、ここで注意をして、思い切りバットを振れなくなることのほうが困るから』って聞いた時には、『この人はすごいなあ』と思ってね。私なら、そこまで我慢できません。関根さんと一緒にやらせてもらって、本当に勉強になりましたよ」

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