石毛宏典が「史上最強」と語る1990年の西武は、平野謙という「つなぎ役」の加入によって完成した (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――平野さんのバントには、どんな特長がありましたか?

石毛 ボールの勢いを"殺す"ためには、バットの芯ではなく少し先に当てることがポイントなんですが、ケンちゃんはそこに当てる確率が高かった。「芯の少し先で"ボールを捕球するような感覚"で当てると、ボールをうまく殺せる」と話していました。

 それと、「足が大事だ」とも言っていましたね。バントをする時は腕を動かしがちなのですが、そうではなく、ヒザを中心とした足の動きでボールの高低やコースに合わせるそうです。そうすると、構えたバットの角度が変わりにくいので成功率も高くなると。ケンちゃんが引退後、セミナーなどでバントをレクチャーしているのを見たこともありますが、「さすがだな」と思わされますよ。

――石毛さんも、バントがうまかった印象があります(通算218犠打)。

石毛 自分で言うのもなんですが、バントはうまかったと思いますよ(笑)。意外と、辻はバントを苦手にしていましたね(笑)。先ほども話しましたが、つなぎに徹することができるケンちゃんの存在が打順の固定につながりましたし、走攻守で隙を見せない西武の野球の質をさらに高めてくれたと思います。

(後編:西武黄金時代の鉄壁の右中間「ライト平野謙・センター秋山幸二」のスゴさとは?>>)

【プロフィール】
石毛宏典(いしげ・ひろみち)

1956年 9月22日生まれ、千葉県出身。駒澤大学、プリンスホテルを経て1980年ドラフト1位で西武に入団。黄金時代のチームリーダーとして活躍する。1994年にFA権を行使してダイエーに移籍。1996年限りで引退し、ダイエーの2軍監督、オリックスの監督を歴任する。2004年には独立リーグの四国アイランドリーグを創設。同リーグコミッショナーを経て、2008年より四国・九州アイランド リーグの「愛媛マンダリンパイレーツ」のシニア・チームアドバイザーを務めた。そのほか、指導者やプロ野球解説者など幅広く活躍している。

◆石毛宏典さん公式YouTubeチャンネル
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プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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