石毛宏典が「史上最強」と語る1990年の西武は、平野謙という「つなぎ役」の加入によって完成した (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【プロ野球歴代2位、平野のバントの極意】

――石毛さんはチームリーダーとして、平野さんにアドバイスなどをしたことは?

石毛 中日時代に打率3割、盗塁王にもなるなど実績も地位も確立していた選手でしたから、私から何かを教えることはありませんでした。走攻守をそつなくこなせるオールラウンドプレーヤーという点で、少し自分と近しい部分を感じていましたしね。中でも、ゴールデングラブ賞が9回、最多捕殺も5回ですから"守備の選手"かもしれませんね。

 あとは何といっても、バントがうまかったです。打率はそれほど高くはないのですが、足が速くてスイッチヒッターでしたし、相手バッテリーは嫌だったと思いますよ。ケンちゃんが西武に来てから2年目までは、自分が1番で2番にケンちゃんが入ることが多かったのですが、3年目からは1番に辻、2番にケンちゃんで定着しましたね。

――平野さんの西武3年目となる1990年は、石毛さんが"西武史上最強"とおっしゃっているシーズンですね。1番・辻、2番・平野、3番・秋山幸二、4番・清原和博、5番・オレステス・デストラーデ、6番・石毛(敬称略)......と続く打順は球史に残るオーダーです。

石毛 打順はいろいろな組み方があったと思いますが、ケンちゃんが2番に入ったからこそ打順が固定できたんじゃないかなと。1番の辻と2番のケンちゃんでチャンスを作って、秋山から始まるクリーンナップでランナーを還す。内外野の守備も含めて、1990年は「黄金時代と呼ばれる期間の中でも一番強い」という手ごたえを、私自身は感じていました。

 ちなみに、ケンちゃんとのトレードで中日に行った小野も、移籍1年目で最多勝を獲りました。あのトレードは成功だったんじゃないですか。

――1番とクリーンナップをつなぐ2番打者として、森祇晶監督が平野さんを欲しがっていたようですね。

石毛 今は2番に長打を打てるバッターを置くなど、さまざまなタイプのバッターが2番を打っていますが、当時は巨人の川相昌弘もそうでしたが、2番といえば"つなぎ"に徹するというか、自己犠牲をいとわないタイプが主流でしたからね。先ほども話しましたが、ケンちゃんは本当にバントがうまかったです。

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