球団譲渡、イチローフィーバー、近鉄との吸収合併...阪急・オリックスで46年、松本正志が振り返る激動の球団史 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

【阪急からオリックスへの球団譲渡】

── 現役10年間の一番の思い出は何でしょうか?

松本 日本シリーズのあと日米野球があり、「安打製造機」と呼ばれたピート・ローズと対戦したことです。ストレートをライト前に持っていかれました。マニエルといい、ローズといい、外国人打者に弱いですね(笑)。

── 阪急の小林一三オーナーは「球団と宝塚は手放さない」が遺言だったそうですが、1988年のオフにオリックスに球団譲渡されました。

松本 投手では山田久志さん、野手では福本豊さんがリーダー格だったのですが、ともに球団譲渡を機に引退。みんな「この先どうなるんだろう」と、不安を隠せませんでした。完全に引き継ぎが終わるまで、2年ほどかかりましたね。95年、96年にリーグ連覇を達成し、96年は日本一にも輝きました。ただそのあとは、FAで主力選手が移籍し、長谷川滋利やイチローがメジャーに挑戦したこともあって、戦力はダウンしました。

── 2005年の「球界再編」において、オリックスは近鉄を吸収合併しました。

松本 ライバル球団である近鉄との合併で、チーム内に違和感があった気がします。なかなか勝てないシーズンが続き、1996年の優勝から2021年の優勝まで、じつに四半世紀もかかりましたからね。

── 上田利治監督、梶本隆夫監督、仰木彬監督、岡田彰布監督、中嶋聡監督ら多くの監督を見られてきたと思いますが、印象に残る監督は?

松本 みなさんいい監督でした。とくに印象深いのは、プロ入団時の上田監督と日本一時の仰木監督ですね。共通するのは、ふたりとも厳しさのなかに愛情がありました。上田監督は捕手出身なので、投手の私には「思い切って腕を振れ」とアドバイスしてくれました。そして、「ええで、ええで」と選手を乗せてくれました。

── 仰木監督はいかがでしたか。

松本 私は現役引退の翌年(1988年)から用具係に転身し、92年までは打撃投手を兼務しました。仰木監督で印象的だったのは、その日の天気を質問されたときなどは、曖昧ではなくしっかりとした答えを求められました。各コーチに対する選手への質問も同じでした。「自分の担当する仕事に対して目を配り、準備をしっかりしておきなさい」ということを教えてくれていたのだと思います。

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松本正志(まつもと・しょうじ)/1959年4月2日、兵庫県生まれ。77年、東洋大姫路高3年夏の甲子園で全国制覇。同年秋のドラフトで阪急(現・オリックス)から1位指名を受け入団。1年目から一軍のマウンドを経験し、ジュニアオールスター、日本シリーズにも起用された。80年にプロ初勝利を挙げるも、その後は故障もあって登板機会に恵まれず、87年に現役を引退。 引退後は用具係としてチームを陰で支えた。今年3月末、定年により退職した

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