山本由伸らを育てた名伯楽・高山郁夫が現役引退後の中学野球で学んだ「子どもの心を潰さない指導」 (4ページ目)
── どんな部分を指摘することが多かったのでしょうか?
高山 活躍しているとき、「勝ったからいい」ではなく、チームプレーができていなければ指摘していました。「ファーストのベースカバーに遅れたよね」とか「バックアップを怠ったよね」と。技術の高い、低いではなく、誰でも意識すればできることですからね。そこはエースだろうと若手だろうと、同じように接してきたつもりです。ただし、叱る時はなるべく大勢の前ではなく、個別で伝えるようにしていました。もちろん、齋藤監督のようにフォローの言葉も忘れないようにして。
── もし中学野球の指導経験がなかったら、高山さんはどんなコーチになっていたのでしょうか。
高山 また違ったスタイルになっていたのでしょうね。私にとっては、すごく勉強になった時間でした。今も齋藤監督とは付き合いが続いていますし、小平ポニーズにはアドバイザーとしてかかわらせてもらっていますよ。
── 中学生の時期に、とくにやっておいたほうがいい練習はありますか?
高山 野球は肩甲骨と股関節が大事。これは中学生だろうとプロだろうと変わりません。中学生の時期に肩甲骨、股関節の可動域を広げておくと将来につながっていきます。小平ポニーズでもウォーミングアップから、そのストレッチやトレーニングのメニューを入れていました。
── 次回では高山さんがNPBに復帰するきっかけになった、独立リーグでの指導についてお聞きします。
高山 よろしくお願いします。
つづく
高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06〜13年)、オリックス(14〜15年、18〜23年)、中日(16〜17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した
著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。
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