斎藤佑樹のプロ9年目、2年続けて一軍0勝も「野球が楽しい」と思えたワケ (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 2019年は30代になって迎えた初めてのシーズンでしたが、フィジカル面には自信がありました。たとえば、ファイターズの春のキャンプではシャトルランのタイムを計るんですが、そこでも僕は若い選手に負けていませんでした。

 シャトルランというのは50メートルを走って往復、そのまま40メートルを往復して、最後に30メートルを往復するというキャンプでの毎年の恒例行事なんですが、これ、すごくきついメニューなんです。それでも僕はピッチャーのなかではずっと1番か2番でした。

 毎年、キャンプが終わったらタイムが貼り出されて、誰が1位だったかという話で盛り上がります。当然、野手が速くて、でも僕はいつも上位で、30歳を超えた年もピッチャーのなかでトップをキープしたんです。僕は若い立野和明とか、当時はルーキーだった柿木蓮、田中瑛斗と一緒に練習していましたが、彼らが加藤武治(当時は二軍の)ピッチングコーチから「走れ、走れ、もっと走れ」とハッパをかけられるなか、「斎藤、アイツらに走るところ、見せてやってくれよ」なんて乗せられて、つい一緒に走っちゃっていました。

 若手のランニングって量も多いしスピードもあるし、メチャメチャしんどいんです。でも30歳を超えるとランニングメニューは個々に任されることが多くて自分を追い込むのが難しかったので、(1つ下の)浦野(博司)を誘って「よし、行こうぜ」なんてカッコつけて走っていました。

 ただ、実際に若い子たちと一緒に走ると、僕は彼らを置いてきぼりにできたんです。そうすると加藤コーチがすかさず柿木や瑛斗に「おまえら、30歳に負けてんじゃねえよ」って、さらなるハッパをかける材料を提供していた(笑)。僕にとってもそうやってほぼ100%で走る機会を得られるのはありがたかったし、なにより楽しかった。どちらかと言えば、「今、フィジカル、メチャクチャいいじゃん」と思っていましたね。

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