元DeNA、巨人・山口俊が語る先発転向と落涙のFA宣言「ベイスターズに残りたい気持ちもあった」 (3ページ目)
【復活の裏にあった木塚コーチの存在】
――そんなことがあったんですね。4年目の2009年からはクローザーに抜擢され、強いストレートと鋭いフォークを武器に、2012年には通算100セーブを達成しました。勝ち試合を締めるクローザーという立場はいかがでしたか。
山口 やりがいもありましたけど、いろいろな意味で大変でしたね。当時はなかなかチームが勝てない状況だったので、出番が週に1回とか、ひどい時には投げずに10日間空いたり、気持ちを維持するのが大変でした。と思ったら7回途中から最後まで投げることもあったりして。今思えば貴重な経験をさせてもらいましたね(笑)。
――今では考えられない起用法ですね。山口さんは2014年に先発に転向します。その直前はクローザーまたはセットアッパーとして試合に出ても抑えきれず、ファンからも厳しい声が飛んでいました。
山口 先発転向もまた自分にとって大事なターニングポイントでした。リリーフとして結果が出ない時期に、ファームに落ちた際、投手コーチだった木塚敦志さんといろんな話をしたんです。その時、僕は木塚さんに「先発をやらせてください」と伝えたんです。リリーフとして苦しい状況下、これで終わってしまったら後悔しかない野球人生になってしまう。だったら以前からやりたかった先発にチャレンジしてみたいって。
――まさに背水の陣ですね。これでダメだったら、もう終わりという覚悟。
山口 はい。木塚さんは「(首脳陣に)伝えることはできる」と。「ただもう一度、お前自身、野球を見直すことができるか?」と問われ「しっかりやるので、お願いします」と頭を下げました。そこから毎日、朝一番にグラウンドに来て先発としての調整が始まりました。木塚さんは親身に付き合ってくださって、本当に感謝しかないですね。
――親身と言えば、現在ベイスターズを指揮する三浦大輔監督は現役時代「一番叱った後輩は山口俊」と、おっしゃっていました。
山口 はい。三浦さんにも本当にお世話になりました。常々「このままじゃ終わっちゃうぞ」と言われていて、クローザー時代も「お前が試合を締める役割なんだから、立ち振る舞いなどで隙を見せるな。お前が打たれたら仕方がないと思われるような選手にならなきゃダメだろ」と。三浦さんの言葉で、ピッチャーとしていろいろと考えさせられました。本当にありがたいことです。
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