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江川卓の作新学院を「5度目の正直」で破った銚子商 ターニングポイントはセンバツでの屈辱的大敗 (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

【朝4時から始まる地獄の6月合宿】

 この試合がきっかけとなり、銚子商野球部は変わる。センバツまではコーチ陣に無理矢理やらされていた感があった練習に自発的に取り組むようになり、選手自身に「絶対に勝ちたい」という意識が芽生えた。そんな経緯もあって、今まで以上に過酷な猛練習が始まった。

 銚子商は、常に全国制覇を目指すチームづくりをする。監督の斉藤は「江川を倒さなければ全国制覇は狙えぬ」と、"打倒・江川"に照準を定めた。4月末に作新学院に出向き、ダブルヘッダー。第1試合は江川が先発完投し、2対3と敗戦。第2試合は控え投手の大橋康延に0対2と完封負けを喫した。

 5月22日に春季関東大会準決勝で再び対戦するも3対5で敗退。しかし、対戦するたびに江川への恐怖心は薄れ、敗れはしたものの江川から3点取ったことで自信をつけた。

 そして毎年恒例の1カ月間の"6月合宿"。1年生は朝4時起きでグラウンド整備から買い出し、食事の支度をし、夜は夜でボール磨きや洗濯など、すべての仕事が終わるのは夜中の1時か2時。寝る時間がほとんどないため、昼間、授業中に寝るしかなかった。教師たちも、野球部の連中が授業中に居眠りしても見逃してくれた。学校側も甲子園出場に向け、全面的にバックアップしていた。土屋が振り返る。

「『まだ生きてるわ』っていうくらい、めちゃくちゃ練習はやったね。6つ上のコーチが怖くて......。ピッチャーは投げるか、走るか。息抜きはバッティングだけ。とにかく走ってましたね」

 土屋だけでなく、ほかのメンバーに聞いても"6月合宿"に関しては、ありふれた慣用句だけでは収まらないほど地獄の苦しみだったと口々に言う。

 朝4時に起床し、400メートルトラックの1分間走を1分間のインターバルをおいて20本。そのあとは急勾配の坂道を、コーチがバイクに乗りそれを押しながら駆け上がる。登校時には一般学生もその坂を利用するが、毎年6月は登校時間にそこで野球部員がぶっ倒れているのが朝の光景だった。

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