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江川卓の作新学院を「5度目の正直」で破った銚子商 ターニングポイントはセンバツでの屈辱的大敗 (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 授業のあとは、午後3時半から夜10時頃まで練習。そして土日は練習試合。これを1カ月の間、学校に泊まり込みで続ける。

 この合宿の狙いは、精神的にも肉体的にもとことん追い込み、一度どん底まで調子を落とし、夏の大会が始まる頃から徐々にピークを持ってくるためだ。

 斉藤は「おまえら決勝で負けたら、1回戦で負けるのと同じなんだ。優勝チームの名は残るけど、準優勝チームの名は残らないだろ!」と選手たちを鼓舞しながら、スパルタ指導で技量を磨き、精神修養する。これが斉藤のやり方だった。

【江川卓が三振数で負けた唯一の男】

 激戦の千葉大会を勝ち抜き、土屋は2年夏も甲子園出場を果たす。そして2回戦で江川の作新学院と対戦することになった。

 練習試合を含め、作新学院との対戦は5度目となる。それだけに夏の甲子園1回戦(柳川商)での江川の不出来なピッチングを見た3年生は、「今度こそ作新に勝てる」と士気を上げていた。だが、土屋は違う感情を抱いていた。

「江川さんに勝てるとは思っていなかった。どうしたら負けないかだけを考えていました。『延長18回になっても0点に抑えるしかないな』って......」

 試合は今にも雨が降り出しそうな空模様のなか始まり、江川は延長15回を戦い抜いた疲労が残っていたのか、初回から三振を奪うよりもコーナーを突く省エネモードで投げていた。「いけるぞ、いけるぞ!」と、銚子商のベンチから威勢のいい声が響く。

 両チーム無得点のまま迎えた7回裏、銚子商の攻撃。二死二、三塁の得点のチャンスで、8番の土屋に打席が回ってきた。第1打席でセンター前ヒットを放っており、土屋はリラックスした気持ちで打席に立った。

「あの打席の球だけは違った。今までのボールは何なの......っていうくらい、『ゴォー』と唸りを上げて向かってきたのを覚えています。最後は高めのつり球に手を出して三振。誰かが『江川の球は死んでいる』って言ってたけど、『生きてるじゃねぇかよ』って」

 江川が「土屋は本当にいいピッチャーでした。だから土屋の打席の時は無意識に力が入ったのかもしれませんね」と言うほど、その実力を認めていたのは間違いない。

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