ヤクルト・木澤尚文はクローザーを目指し試行錯誤の日々 「人と違ったことをしなければ、この世界では生き残れない」 (4ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

【失敗できたことも収穫】

 木澤は2020年のドラフトで、ヤクルトから1位指名を受けて入団。先発として即戦力を期待されるも、一軍登板機会なく、二軍で2勝8敗、防御率6.07。

 木澤は苦かった1年目をこう振り返った。

「AがダメならBをやってみよう。BもダメだったらCを試せばいいとやっていました。そのなかで、現段階では自分にマッチしてないということがわかればそれも収穫だと。そういう意味でたくさんの失敗ができたということでは、意味のある1年だったとは思います」

 2年目は150キロを超えるシュートを武器にリリーフとして台頭。初めての日本シリーズでも堂々のピッチングを見せた。

「結果的に転機となったのが2年目の浦添キャンプでした。トモさん(伊藤智仁コーチ)や古田敦也さん(臨時コーチ)が『フォーシームにこだわらずに、シュートで勝負すればいいんじゃないの』と、きっかけを与えてくださった。この世界で生き残るために、自分のフォーシームに見切りをつけられたことは、いいマインドセットになったかなと思っています」

 そんな木澤は、今年は「リリーフ陣のなかでの序列を上げていきたい」と意気込む。

「毎日、試合に参加できるリリーフという役割にすごく魅力を感じています。いぶし銀的というか、あまり目立たなくてもチームに貢献できる。性格上、そういうことにやりがいを感じます。目指すのは優勝で、自分は与えられたポジションで頑張りたい。最終的にはチームのクローザーになりたいですし、そのためには投げ方をよくし、体を強くすることがすべてだと思っています」

 髙津臣吾監督は「(木澤は)ウチの数少ないパワーピッチャーなので、その特長を生かした彼のポジションを見つけていきたい」と言って、こう続ける。

「言いづらいところもありますが、僕は6回、7回を重要視していて、そこで1イニングをピシャリと抑えられるピッチャーをつくりたい。そういう投手を何人つくれるか。それが、ちょっと弱いと言われている先発陣をカバーする作戦のひとつだと思っています。彼(木澤)もそのなかに入っているので、どれだけ安定したピッチングが1年間続けられるか。体の面も含めてそこは求めていきたいですね。向上することを目指して、ああやって時間をつくって自分に投資する。その姿勢はすばらしいですし、必ず何か返ってくると思ってやっているんじゃないでしょうか」

 そして、今回の取材で木澤に、「自分も木澤投手のように、若い頃から自分に投資すればよかったです」と告げると、涼しい顔でこう返ってきた。

「僕としては、特別変わったことをしている意識はないですよ。自分への投資はみんなやっていることですし、僕はただ野球がうまくなりたいだけですから(笑)」

木澤尚文(きざわ・なおふみ)/1998年4月25日、千葉県生まれ。慶應義塾高から慶応義塾大に進み、20年ドラフト1位でヤクルトに入団。2年目の22年に初の一軍開幕を果たすと、シュートを武器にチーム最多タイの55試合に登板。日本シリーズでも4戦無失点の投球を見せた。23年も56試合に登板し、防御率2.72と結果を残した。23年はさらなる飛躍が期待される

プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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