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ヤクルト・木澤尚文はクローザーを目指し試行錯誤の日々 「人と違ったことをしなければ、この世界では生き残れない」

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

 ヤクルト・木澤尚文がオープン戦を順調に消化した。7試合に登板して7回2/3イニングを無失点、許したヒットは3本。

「最終的にはチームのクローザーになれたらと思っています」

将来的にはクローザーになりたいと語るヤクルト・木澤尚文 photo by Koike Yoshihiro将来的にはクローザーになりたいと語るヤクルト・木澤尚文 photo by Koike Yoshihiroこの記事に関連する写真を見る

【アメリカでの自主トレ】

 木澤は自分の目指す場所へ向かうために、これまでに数多くの試行錯誤を繰り返し、今もそれは続いている。とくにオフシーズンは精力的に動いた。昨年12月には元同僚のスコット・マクガフ(ダイヤモンドバックス)を頼って渡米。フロリダ州にあるトレーニング施設『クレッシー・スポーツ・パフォーマンス』で22日間にわたる自主トレを行なった。

「チームに欠かせないピッチャーになるには、もうひとつ上のレベルにいかないといけない。そのためには同じオフシーズンを過ごしてもダメなんじゃないかと。日本でマクガフのトレーニングを見た時に、もっと突き詰めて知りたいと思いましたし、向こうのピッチャーはどんなトレーニングをしているんだろうと。そういう興味もあり、そこが入り口でしたね」

 同施設はマクガフのほかに、ジャスティン・バーランダー(アストロズ)やマックス・シャーザー(レンジャーズ)といった超大物メジャーリーガーも利用。

 渡米前日、木澤は「決して安くない額を投じるので、無駄にならないようにしたい」と語っていたが、体づくりや投球技術、トレーニングに対しての具体的な考え方など、大きな収穫と刺激を持ち帰ることができた。筋肉量も「すごく増えました」と言った。

「施設にはマイナーリーガーもたくさんいて、決して多くないサラリーのなかで、たとえば4人集まって家を借りて、自炊してオフを過ごしている。トレーニングに対するハングリーな姿勢、あとがないプレッシャー、うまくなりたいというパッション......日本にいたらわからないことを知れた。そういった部分も大きかったですね」

 1月には福岡に飛び、鴻江寿治(こうのえ・ひさお)氏が主宰する『鴻江スポーツアカデミー』のキャンプに初めて参加した。

「12月はフィジカル的なことがメインで、1月は投げ方について学びたいと考えていました。例年1月は沖縄の施設に行っていたのですが、前々から興味があったので連絡して参加させていただきました」

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著者プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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