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WBC秘話 ダルビッシュ有から突然届いたメッセージ 戸郷翔征が語る伝説の「宇田川会」【WBC2023】 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

「大勢さんだけ都合が悪くて参加できなかったんですが、みんな感動していました。今まで雑誌とかでダルビッシュさんの記事を読んでいましたが、目の前で話を聞かせていただけたらダルビッシュさんの言葉を1から10まで自分のものにできますから、それはうれしかったですね。合宿中の"宇田川会"の時も、ダルビッシュさんから『戸郷くん、宮崎でしょ、投手会やろうよ。どこかいいお店、ない?』って言われて......だから地元の知り合いとも相談して、あの人数で貸切をお願いできるお店を選びました。地元民にできるのはそのくらいですから(笑)」

 のちにダルビッシュが"宇田川会"と命名した投手会。強化合宿で初の休養日となった2月20日の夜、投手陣の14人がすべて参加した焼き肉会が宮崎で開催された。帰り際、人見知りでなかなか投手陣の輪に入れずにいた宇田川優希をセンターで腕組みさせ、全員で記念撮影をした。その写真にダルビッシュが"宇田川会"とタイトルをつけてSNSに投稿する。それが話題となって、日本代表の投手陣の結束が強まったという、伝説の夜──戸郷がこう振り返った。

「それまでの宇田川さんは会話も少ないほうだったんですが、宇田川会で打ち解け過ぎて(笑)。あのあとの宇田川さん、すっかり人が変わってチームリーダーじゃないかと思うくらい、しゃべるようになりましたね。あの宇田川会でダルビッシュさんとも全員が仲良くなれた感じがしますし、みんながひとつになれた。宇田川会があったからこそ、投手陣はまとまったし、決勝も、登板した7人だけじゃなく、ブルペンでスタンバイしたみんなで勝ち切ることができたんじゃないかなと思います」

 アメリカと戦ったWBC決勝は先発の今永昇太から戸郷、高橋宏斗、伊藤大海、大勢、ダルビッシュとつなぎ、最後は大谷翔平が締めくくった。そんななか、万が一に備えて宇田川はブルペンで準備し続けていた。

「ブルペンでの宇田川さんは、投げすぎてもダメだし、投げなさすぎてもよくないという難しい仕事をナマで見ていて、すごさを感じました。宇田川会の前は想像もしませんでしたね(笑)。でも、思えばあの時は必死でお店を探しましたが、普段の僕はまだ連れてってもらうことのほうが多い年齢なので、お店を決めた身としてはずっとドキドキでした。お肉が来ても、みんなの顔を見ながら『うまいって言ってくれるかな』って......美味しいと言ってくれたので途中から少しだけホッとしましたが、たぶん宇田川会、僕だけがまったく楽しめていなかったと思います(笑)」

著者プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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