「なんでそういうタイミングで優勝なんだ...」 北條史也は阪神の18年ぶり優勝にむなしさを感じた (2ページ目)
── 戦力外通告を受けると予感した時期はありますか?
北條 夏くらいじゃないですか。前半戦で一軍に上がれなかった時点で覚悟はしていました。一軍の調子が悪ければ「チャンスはあるかな?」と思えるんですけど、一軍の調子がよかったので。誰かケガでもしない限り、前半に使ってない選手を上げないやろなと思っていました。
【チームの優勝にむなしさを感じた】
── 阪神のリーグ優勝はどこで見たのでしょうか?
北條 遠征に行っていて、あとから動画で見た記憶があります。「見たっちゃ見た」という感じですね。
── 複雑な思いもあったのではないでしょうか。
北條 そうですね......。10年間で1回も優勝できていなかったし、チームのなかで11年目の僕は古い人間になるので。(在籍年数は)秋山(拓巳)さんと原口(文仁)さんが一番長くて、その下に島本(浩也)さんがいて、次は僕でした。長くはいるけど、優勝した時に一軍にいられなかったのは、むなしさを感じましたね。
── 「むなしさ」ですか?
北條 なんでそういうタイミングで優勝なんだ......って、むなしい感じ。腹が立つというより、悲しくなりました。一軍の試合に出してもらうようになった4年目(2016年)はただ必死についていっただけですが、その後は「優勝したい」という気持ちが年々ふくらんでいましたから。
── 戦力外通告を受けた際、球団からはどんな言葉をかけられたのでしょうか?
北條 11年間貢献してくれた、よくやってくれた、ありがとう、と。感謝の言葉をいただきました。
── 戦力外通告を受けても、阪神への愛着は残っていますか?
北條 もちろん、阪神にいてよかったと思っています。
【金本知憲からの「もう野球をやめろ」】
── 12球団合同トライアウトは受けなかったのですね?
北條 戦力外通告を受けるタイミングで金本(知憲)さんにお電話したんです。その時、金本さんからは「もう野球をやめろ」と言われました。NPBの他球団を目指すのはやめたほうがいいと。家族もおるんやし、戦力外で入った選手は結構な成績を残さないと長続きしないと。たしかに自分にそこまでの成績を残せる自信はなくて......。それでも、期限まではNPBからのオファーを待っていました。
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