「大谷翔平に敵う選手はいなかった」プレミア12、WBCで世界と戦った平田良介がセパ交流戦で見た衝撃

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

平田良介インタビュー(後編)

前編:「高校通算70本塁打の平田良介が落合博満監督から評価されたこと」はこちら>>

 平田良介氏は、中日で過ごした17年間の現役生活で6人の監督に仕えた。そのなかで最も影響を受けた指揮官は誰だったのか。また、17年間プレーしたなかで平田氏がすごいと驚愕した投手、打者を挙げてもらった。

2022年シーズンを最後に34歳の若さで現役を引退した平田良介氏 photo by Koike Yoshihiro2022年シーズンを最後に34歳の若さで現役を引退した平田良介氏 photo by Koike Yoshihiroこの記事に関連する写真を見る

【考えてプレーする谷繁野球】

── 2012年から2年間、高木守道監督時代の思い出に残るプレーは何ですか。

平田 落合(博満)さんから高木さんへ、プロ入りしてから初めて監督が代わりました。当然のことながら、「監督が代わると野球も変わるんだな」と思いました。高木監督の2013年、自己最多の15本塁打を打ったことが思い出として残っています。

── 2014年から16年まで谷繁元信監督が指揮を執りますが、この3年間は平田さんにとってどうでしたか。

平田 2014年はプロ9年目で初めて規定打席に到達しました。そして翌年は初めてベストナインに選出。2016年は103安打で73打点と、ヒット数の割に打点が多くてポイントゲッターに。その一方で72四球を選び、チャンスメーカーにもなっていたと言ってくれる方もいました。でもレギュラーとしてもっと数字を伸ばせたのではないかと、自分では物足りなかったです。

── 谷繁さんはどんな野球をする監督でしたか。

平田 すごく考えて野球をやるイメージがあります。打席に立ち、"根拠"を持って配球を読むようになったのは谷繁監督になってからです。たとえばスライダーを待つにしても、なぜその球を待つのかを説明できなくてはダメなんです。

 谷繁監督には2016年に「おまえがチームを引っ張りなさい」と言っていただき、仁村徹さん以来22年ぶりのキャプテンを務めました。ただケガに泣かされ、全試合出てチームを牽引できなかったのが悔しかったですね。監督からは「抜く時は抜きなさいよ」と言われていたのですが、性格上、途中でやめることができなくて......。よく言えば全力でやるタイプ、悪く言えば鈍感なタイプだったんです。

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