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「高校生がこんな速い球、打てるわけないだろ!」作新学院・江川卓のストレートに相手チームは戦意喪失 ノーヒット・ノーランを喫した (4ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 5番打者でセンターを守っていた梨本卓は、こう証言する。

「この試合、アウトコースに少しでも流れてくれれば打てると思ったんですが、そういうボールは全然来ず、勝負球はインコース高目です。このボールは最初から打てません。カウントをとる球はカーブだし、なかなか狙い球が絞れませんでした。思いきって開いて打とうとするもんなら、アウトコースにポッと逃げられちゃうし」

 江川対策の練習として、投手にマウンドの3メートル前から投げさせる。どこの高校もこの江川対策は実践済みであったが、実際に対戦する江川の球とはまったく違うため効果がなかった。さらに江川のカーブに関してはお手上げ状態。日本のプロ野球界で、当時最高と言われた巨人の堀内恒夫のカーブに匹敵するというレベルにあったと言われ、対策しようがなかった。

 とにかく、江川に対してはストレート狙い。それもベルトから上の球は全部捨てる。そうはいっても江川のストレートを弾き返すのは容易ではなかった。

 試合は作新・江川、栃木工業・海老沼利光の息詰まる投げ合いで0対0のまま9回の裏、作新の攻撃。一死一、二塁。バッター江川を迎える。

「ひとつ下に江川と同じ小山中のヤツが外野の控えにいて、『江川さんはカーブに弱いから』と試合前教えてくれたんです」(石川)

 初球カーブを要求し、ピッチャー海老沢も大きく頷く。セットポジションから速いモーションでアウトコースからインコースの膝元に落ちるブレーキ鋭いカーブを投げる。江川は左投手特有の食い込んでくるカーブを逆らわず、ライト前に流した。ライトは前進守備を敷いており、二塁走者は帰ることができないだろうと誰もが思った瞬間、二度ジャッグルした間に、ランナーは脱兎のごとく駆け抜けホームイン。サヨナラである。

「今でもあの試合は悔しいですよ。勝てる試合でしたから。3年間で一番甲子園に近かったですから」

 石川も梨本もおよそ50年たった今でも、この悔しさは消えていない。

 1対0、奪三振16、四球3のノーヒット・ノーランでサヨナラ殊勲打。江川ひとりで投げて打って勝った試合だった。

 これで3試合連続ノーヒット・ノーラン。この試合から"作新江川"から"江川作新"とも呼ばれるようになった。


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

著者プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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