侍ジャパンはなぜこれ以上ないエンディングで世界一を果たせたのか 栗山英樹「野球の神様がシナリオを書き始めた」 (5ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 編集協力●市川光治(光スタジオ)

【選手を輝かせる裏テーマと世界一の両立】

 もうひとつ、監督としてダメだったなと思い出すシーンがあります。

 それが最後の瞬間でした。9回に翔平をマウンドへ送り出して、「もし同点に追いつかれていたらどうしたんですか」と、何度も訊かれました。監督の仕事においては、危機管理は絶対条件なので、同点に追いつかれたり逆転されたりということは考えて行動しなければなりません。

 でも、あのケースに関してはリードして翔平を出した瞬間、絶対に追いつかれてはいけないと腹を括っていました。これっぽっちも、こっちが追いつかれることを想像してはいけないと自分に言い聞かせていたんです。それを想像した瞬間、負けると思っていました。絶対にこの継投を勝ちパターンに持っていくと決めていたんです。それは、監督としてはやっちゃいけないことなんですよね。

 しかも、僕だけが感じている"ホントに大事な時にしでかす感じ"は、あの時の(ピッチャーの)翔平にはまだありました。打つほうにはそういうことはないと信じられていましたけど、投げるほうに関しては力が入りすぎて自分のパフォーマンスにならない時がまだあると感じていたんです。

 翔平、9回の先頭だった(ジェフ・)マクニールを歩かせたでしょう。いい球はいっているのに、思ったところへ投げられているのに、それをボールと言われて自分の感覚と審判の判定がズレてくると、得てしてピッチャーは崩れます。あのWBCは日本が絡んでいない試合でも、フォアボールが試合を決めることが多かった。調子が悪ければ修正を図ろうとするんだけど、調子がいいと崩れるきっかけはフォアボールになるんです。マクニールを歩かせたときは本当に胸がザワザワしましたね。

 ただ、翔平は難しくなったり、苦しくなったり、状況が厳しくなればなるほど、そこに向かって超えられたら自分のステージが上がるということを知っている、世界で唯一の選手です。だから、誰もやったことがないことだと、ホントにうれしそうにやる。それをわかっているから、こっちは宿題を難しくします。

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