斎藤佑樹が決死の覚悟でつかんだバースデー勝利「6月もダメなら野球人生が終わる」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 久さんが最後をゼロに抑えて、僕に1カ月ぶりの勝ち星(5勝目)がつきます。試合後、札幌ドームのお立ち台に上がって、僕は「最強の24歳になります」と言いました。この年の開幕投手を任せてもらってからずっと、そうあるべきだと思っていました。

 開幕を投げるピッチャーへの期待値というのはいちばん高いはずです。僕にとっての「最強」の定義は、パワーピッチャーに通じていました。強い、イコール、ストレートで三振をとれる、空振りをとれる......それが僕にとっての「最強」のピッチャーです。

 ところが誕生日だったあの日は、奪三振ゼロという、いわば最強とは対極のピッチングで勝ったわけで、だからこそ次からは最強のピッチャーを目指します、と言いたかったんだと思います。

 交流戦を終えた時点で5勝5敗(5勝はリーグ8位タイ)。チームのなかでは吉川(光夫)の7勝がトップでした。それでも開幕から一度も外れることなくローテーションを守って、ファイターズも首位のマリーンズに次ぐ2位につけていました。

 2年目になって、プロとしての毎日に慣れてきた感じもありました。1年目は負けたらすごく落ち込みましたし、同点の試合とか、自分に勝ち負けがつかない試合に対して、納得がいかない時もありました。

 でも、プロではそうじゃないことに気づきました。同点だったとしても6、7回まで投げたら、その分、イニング数も稼いでいるわけで、自分のしたいことがちゃんとできていれば経験値としてそれが積み重なっていく......そう思えるようになったことがプロとしての成長だったのかもしれません。

【きっかけをつかんだ中村紀洋への投球】

 僕はプロ2年目、初めてファン投票でオールスターゲームに選んでもらいました。6月6日の誕生日に勝って以来、ローテーションどおりに投げてきましたが、勝ち星を増やすことはできていません。それでも僕は京セラドーム大阪での第1戦、オール・パシフィックの先発ピッチャーとしてマウンドへ上がらせていただきました。

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