元阪神・伊達昌司はなぜ高校教員になったのか 「甲子園で投げるより緊張する」瞬間 (4ページ目)
── これまで多くの指導者のもとでやられてきましたが、印象に残っている方は?
伊達 今の自分があるのは指導してくださったみなさんのおかげで、全員に感謝しています。法政大の山中監督は僕の努力を認めてくれました。巨人時代の小谷正勝コーチはいい時も悪い時もずっと見てくれていて、投球フォームがずれている時に的確なアドバイスをくれたのが印象に残っています。
── 野球を指導することにおいてポリシーは?
伊達 野球で頑張ってきたことや部活動を通して得た経験を、その後の人生の糧にしてもらいたいですね。
── 社会に貢献できる人材の育成、野球部の躍進、陰ながら応援しています。
伊達 頑張ります。ありがとうございます。
伊達昌司(だて・まさし)/1975年8月23日、神奈川県生まれ。法政二高、法政大、プリンスホテルと進み、2000年のドラフトで阪神から2位指名を受けて入団。1年目にプロ初登板初勝利を挙げるなど、4勝をマーク。2年目は中継ぎとして41試合に登板するも、同年オフにトレードで日本ハムへ。移籍1年目の03年、51試合に登板して5勝9セーブ。05年3月に巨人にトレードされ、06年に現役を引退した。引退後、東京都の教員採用試験に合格し、江戸川高、府中西高を経て、19年に雪谷高に着任。21年春から野球部監督を務めている
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