元阪神・伊達昌司はなぜ高校教員になったのか 「甲子園で投げるより緊張する」瞬間 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Sankei Visual

── 公立高校教員は地方公務員なので、教員免許取得後の試験も大変ですね。

伊達 東京都教員採用試験は一度落ちて、神奈川県立鶴見養護学校で働きながら、通信で地歴の単位を取得しました。2年目はしっかり勉強して試験に合格できたのは、自信になりました。

── 2008年は臨時で巨人の寮監を務められています。どういう経緯だったのですか。

伊達 寮監と呼んでいいのかどうかわからないですが、巨人から連絡があり「臨時で寮を手伝ってくれる人を探しているので来ないか」という話をいただいたのです。寮長や事務の手伝いをしながら、教育実習にも行かせていただきました。結婚もしていたし、無職で貯金を切り崩しながらの生活をしていたので、本当にありがたい話でした。坂本勇人選手が全144試合に出場し、レギュラーに定着した高卒2年目でしたね。

── 現役時代に巨人の同僚だった2選手も、教員として高校野球指導者の道を歩みました。

伊達 原俊介先生(東海大相模)と、残念ながら先日お亡くなりになられた三浦貴先生(浦和学院)ですね。

── 伊達さんは江戸川高(2010〜14年)を皮切りに、府中西高(15〜18年)、雪谷高(19年〜)と赴任されています。クラス担任や授業はどれくらい持っているのですか。

伊達 いずれも「3年ひとまわり」で卒業生を出しました。去年は生活指導部を1年やって、今年は2まわり目、1年生担任で学年主任を兼務しています。そして、いまは50分授業を、週15コマ持っています。

【甲子園のマウンドよりも緊張した】

── 「教壇という名のマウンド」に立ってみていかがでしたか?

伊達 甲子園や東京ドームで4、5万人の観衆のなかで投げていたよりも、最初の江戸川高校で40人の生徒を前にして試験のプリントを配った時は緊張しましたし、変な汗をかきましたね(笑)。授業では、生徒をはじめ多くの人に関わることが多いので、そこが一番大変で大事だと思います。

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