オリックスはなぜこんなにも強くなったのか? 阪急レジェンドOBが徹底分析 (5ページ目)
── 1975年から77年の阪急3連覇の時、76年は一軍で投げた投手は1年間でわずか10人、77年も14人だけです。77年はウエスタンリーグで優勝していますが、若手の登用はなく、打線も投手陣もほぼ固定。対して、中嶋監督は「全員野球」「全員戦力」を繰り返し口にしてきました。
山田 中嶋は今の選手の気質をうまくとらえたんだろうね。それとね、ここ最近はオリックスの選手も給料がよく上がっているでしょ。たまに「なんでこんなにもらうの?」という選手もいるけど、数字だけじゃないところもしっかり見て評価しているんでしょう。こういう働きをしたらちゃんと認めてもらえるというのが、選手にも浸透していった。
福本 お客さんがほんまに増えた。少し前までの勝てない、お客さんも増えないという時は、3階席を空席が目立たんようにするため、でっかいシートを被せていたのにね。それに今は選手にイケメンが増えたでしょ。お客さんが入らん時は、冗談半分で「イケメン揃えて、女性のファンに来てもらわんとあかんな」と言うてたのが、今はチームも強くなって、イケメンもいる。京セラ行っても、女性ファンがほんとに増えた。
山田 チームが強い時というのは、すべての面でうまく回るんですよ。
福本豊(ふくもと・ゆたか)/1947年11月7日、大阪府生まれ。大鉄高(現・阪南大高)から松下電器を経て、68年ドラフト7位で阪急に入団。2年目の70年にレギュラーを獲得すると、類まれな盗塁技術で75盗塁をマークし、盗塁王を獲得。72年にはシーズン106盗塁の世界記録(当時)を樹立。その後も不動のリードオフマンとして活躍。山田久志、加藤秀司らと阪急黄金時代を支えた。88年に現役を引退し、オリックス、阪神でコーチを務めた。02年に野球殿堂入り
山田久志(やまだ・ひさし)/1948年7月29日、秋田県生まれ。能代高から富士製鐵釜石(新日鐵釜石)を経て、69年ドラフト1位で阪急に入団。3年目の71年にシーズン22勝、防御率1位に輝くと、阪急のエースとして17年連続2ケタ勝利。76年から史上初の3年連続MVPに輝いた。「史上最高のサブマリン」と評され、最多勝3回、最優秀防御率2回など数々のタイトルを獲得した88年に現役を引退し、その後はオリックス、中日の投手コーチを歴任。02年から03年途中まで中日の監督を務めた。06年に野球殿堂入り
著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。
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