日本インカレ400m女王・鳥原早貴の今 ソフトバンク本社から志願してホークス広報に「野球と陸上のコラボが密かな野望です」 (2ページ目)

  • 和田悟志●取材・文 text by Wada Satoshi
  • 繁昌良司●撮影 photo by Hanjo Ryoji

【「競技を続けてほしい」の周囲の声】

 以前、スポルティーバで広報の加藤さんを取材させていただいた際、インタビューを仕切ってくれたのが鳥原さんだった。じつは筆者は学生時代の鳥原さんを取材したことがあり、約10年ぶりの再会となった。

同じく広報の加藤和子さん(右)と一緒に同じく広報の加藤和子さん(右)と一緒にこの記事に関連する写真を見る あれほどの実績の持ち主が、どうして競技を退いたのか、また、どのような経緯でホークスの広報を務めることになったのかが気になり、取材を申し込んだ。

「日本代表になることをずっと目標にしてやってきて、大学で最後にしようと思っていました。そして、最後の年に日本代表に選ばれて東アジア選手権に出場できました。タイミングとしてはいいかなと思い、引退を決意することができました」

 有終の美を飾るとはまさにこのこと。初めて日本代表として出場した東アジア選手権が鳥原さんの引退試合になった。その試合では、個人種目の400mで3位、4×400mリレーで2位と2種目で表彰台に上がった。

青山学院大陸上部の同期メンバー(鳥原さんは下段右から3番目、左隣は妹の有華さん)青山学院大陸上部の同期メンバー(鳥原さんは下段右から3番目、左隣は妹の有華さん)この記事に関連する写真を見る「陸上の場合、何年も自己ベストが出ないっていうことがざらにあるじゃないですか。そのなかで、最後の1年もちゃんと自己ベストを出せて、結果も残していたので、引退していいのか、葛藤もありました」

 揺らぐ思いもあったのは事実。もちろん周囲にも惜しむ声は多かった。

 とくに双子の妹・有華さんが新聞社の内定をもらった時には「(鳥原さんの)記事を書きたいから競技を続けてほしい」と言われたという。

 それでも鳥原さんの決意は固かった。女子短距離選手を受け入れる実業団が少ないという事情もあったが、大学4年間で陸上競技に区切りをつけた。

 ちなみに、鳥原さんの学年は陸上競技界では「プラチナ世代」と言われ、男子マラソンの大迫傑(ナイキ)、男子短距離の飯塚翔太(ミズノ)、男子やり投のディーン元気(ミズノ)ら、今も現役で活躍している選手は多い。

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