阪神は「気象条件にも見放されたか」OB関本賢太郎が振り返るロッテとの日本シリーズ初戦 勝負のポイントは「5回の攻防にあった」 (3ページ目)
【「とうとう気象条件にも見放されたか」】
――第1戦は試合中に発生した濃霧で試合が30分以上中断し、結果的には日本シリーズ史上初の「濃霧コールド」という事態になりました。阪神ベンチからはどう見えていましたか?
関本 僕らのベンチは三塁側で、正面に見えるライトスタンドの屋根の上から濃い霧がなだれ込んでくるのが見えたんです。どんどん流れ込んできていて、雲海みたいでした。1-10と大差をつけられている試合展開で、「とうとう気象条件にも見放されたか」という感じでした(笑)。
ただ、霧で試合がコールドになることは予想していませんでした。試合当日の天気予報でも霧が出るといった情報は見ませんでしたし。少しでも予報があれば心の準備ができたのですが......いずれにせよ、試合展開と合わせて二重のダメージでした。
――日本シリーズ史上初の出来事でしたし、濃霧コールドはさすがに想定外ですよね。
関本 試合が続行になっても逆転は難しい状況だったと思いますけど、「こういう終わり方になるんだ......」とベンチから見ていました。ただ、まだ1試合が終わっただけでしたし、僕らとしてはすぐに気持ちを切り替えようとしていました。
――次の試合に向け、気持ちはすぐに切り替えられた?
関本 そうですね。2003年のダイエー(現ソフトバンク)との日本シリーズも、福岡で2連敗のスタートだったので。その後に甲子園に戻ってきて3連勝し、再度福岡に乗り込んでから連敗して3勝4敗で負けてしまいましたが......。
その経験があるので、ビジターで勝つことの難しさは重々承知していましたし、「第3戦目でホームに戻ればアドバンテージがある」という気持ちもあった。チーム全体が「次の試合(第2戦)に勝って甲子園に帰ろう」と、気持ちをうまく切り替えられていた気がしますね。
(清水氏の証言3:ボビー流・ロッテ「日替わり打線」が爆発 「俺も、俺も」と乗せられた>>)
【プロフィール】
関本賢太郎(せきもと・けんたろう)
1978年8月26日生まれ、奈良県出身。天理高校3年時に夏の甲子園大会に出場。1996年のドラフト2位で阪神タイガースに指名され、4年目の2000年に1軍初出場。2004年には2番打者として定着し、打率.316の高打率を記録した。2007年には804連続守備機会無失策のセ・リーグ新記録を樹立。2010年以降は勝負強さを買われ代打の神様として勝負所で起用される。2015年限りで現役を引退後、解説者などで活躍している。通算1272試合に出場、807安打、48本塁打、312打点。
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。
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