指揮官の「予言」どおりに元オリックスの小川博文はプロ入り「すべて言われたとおりで恐ろしい」 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 大会では後楽園球場の外野席までいっぱいになった。ふだんはホテルごとに別々の会社のようになっていたが、野球の応援でひとつになっていた。そのなかで小川は、初戦に代打で初出場。結果は三塁ゴロだったが、痛烈な打球だった。ここから4年連続で都市対抗に出場し、翌86年には3番を打つまでに成長。

 87年は2番を打った小川は、チームがベスト4に進出した全4試合で通算19打数9安打6打点。2本塁打を放って打率.474と打ちまくり、4番・中島輝士とともに優秀選手、同年の社会人ベストナインを受賞する。都市対抗後には中島とともに初めて全日本に選ばれ、アジア野球選手権大会、インターコンチネンタルカップに出場。そして翌88年のソウル五輪を迎える。

「ソウルでよく覚えているのは準決勝の韓国戦。7回に中島さんのホームランで同点に追いついて、8回に2点とって勝った試合。あとは決勝のアメリカ戦ですよ。日本は先発のジム・アボット(ミシガン大/エンゼルスほか)と初めて対戦して3点とったけど、ティノ・マルティネス(タンパ大/マリナーズほか)に2本ホームランを打たれたのが響いて負けたんですよ。

 最後、アメリカが勝った時の喜びようがね。やっぱり、4年前のロサンゼルスで日本に負けているから、それだけ思いは強かったんだろうなと。その姿を見て、なおさら悔しかったんですけど、自分のなかで達成感みたいなものはありました」

 プリンスからは右腕の石井丈裕(元西武)も出場。そのほか野茂英雄(新日鉄堺/元近鉄ほか)、潮崎哲也(松下電器/元西武)、古田敦也(トヨタ自動車/元ヤクルト)、野村謙二郎(駒澤大/元広島)ら、のちにプロ入りする選手たちの活躍が光った。

【オリックス2位指名も記者会見なし】

 その五輪が10月初めに閉幕して翌11月のドラフト、小川はオリックスから2位で指名されて入団した。

「当日は記者会見もなかったし、ネットもありませんでしたので、球団から『2位で指名させてもらいました』と連絡をいただいて知りました。それまでにプリンスから10人以上プロに入っていて、その年は中島さん、石井さんも指名されましたからね。ただ、石山さんにお伝えした時は『よかったなぁ』って。『監督に言われたとおり、4年でプロに。ありがとうございました』と頭を下げたら『おお、頑張れ』と」

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