「1980年代の巨人ベストナイン」を篠塚和典が選出 自分も入った打線は強力、エースは「どの年代を含めても最高の投手」 (4ページ目)
【7番も脅威。バッテリーは盤石】
――7番・ライトに選ばれた吉村さんですが、やはり膝の大ケガ(プロ入り7年目の1988年、札幌市円山球場での中日戦で、守備中に左膝の4本の靭帯のうち3本を断裂)がなければ......と思わざるをえません。
篠塚 そうですね。入団当初から「4番を打てるバッターになっていくだろう」とすごく期待されていました。あのケガがなければ素晴らしい選手になっていたのは間違いないと思います。そういう思いもあって、ケガはしてしまったけど吉村を選びました。
――吉村さんのバッティングはどうでしたか?
篠塚 当初は、ホームランバッターという感じではなかったんです。どちらかというと打率を残すバッターになってくんじゃないか、と見ていました。野球に対しての考え方もしっかりしていましたし、頭もよさそうだなと。長打を打とうとすると引っ張りがちでしたが、打席数をこなすことでボールに対して逆らわずに打つこともできるようになったり、進化していきました。
技術的には3番やクリーンナップを打つ力は十分にありますが、やはりケガをしてしまいましたからね......。それを加味して7番に入れましたが、7番に吉村がいたら相手チームにとっては脅威ですよ。
――8番・キャッチャーには山倉さんを選ばれました。
篠塚 当時は江川さんがエースとして君臨していましたが、やはり江川さんがいる時のキャッチャーといえば、山倉さん。同級生ということもあるし、息の合ったいいバッテリーでした。早稲田大時代には敵として対戦していて、法政大の江川さんのピッチングをずっと見ていたからか、江川さんのことをよく知っていましたね。
肩もよかったですし、20本以上ホームランを打ったシーズンもあった(1987年、22本塁打)。当時のキャッチャーは「守れればいい」という時代でしたから、それだけ打てれば十分ですよ。
――ピッチャーに関しては、先発ピッチャー限定でおひとり選んでいただきましたが、やはり江川さんですね。
篠塚 プロでは多くのピッチャーと対戦しましたが、高校時代に対戦した時の江川さんの印象が抜群でした。球速もそうですが、やはりボールの質ですね。浮き上がってくるイメージでしたし、みんなボールの下を空振りしてしまいましたから。
――カーブはどうでしたか?
篠塚 ちょっと速く回転させたり、緩めだったりとカーブは何種類かありましたが、やはりバッターは真っ直ぐが気になる。カーブを狙っていたら、江川さんの真っ直ぐは絶対に打てません。
江川さんは、バッターに真っ直ぐを狙われているのをわかっていても真っ直ぐを投げる。そこがすごいんです。それで空振りをとれてしまうんですから。今回は1980年代の巨人のベストナインということですが、僕の中で江川さんは、どの年代を含めても最高のピッチャーと言っていいかもしれません。
(連載2:篠塚の芸術的なインコース打ちは、「別格の速球」を投げた江川卓との対決で生まれた>>)
【プロフィール】
篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957年7月16日、東京都豊島区生まれ、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。
◆「夏季少年少女野球合宿2023」開催!
首位打者2回、巨人や侍ジャパンのコーチを歴任! 元巨人・篠塚和典が一流の野球技術を伝授!
【期間】2023年8月14日(月)~17日(木)
【場所】富士 山中湖 湖畔のスポーツ合宿向け施設
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。
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