「1980年代の巨人ベストナイン」を篠塚和典が選出 自分も入った打線は強力、エースは「どの年代を含めても最高の投手」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【5、6番はムードメーカーとしても活躍】

――5番・センターにクロマティさんを選ばれた理由は?

篠塚 彼は守備は苦手でしたね(笑)。ただ、その分打ってくれたし、チームの雰囲気をすごくよくしてくれた。ファンを呼び込むパフォーマンスも自然と出ていました。7年間でしっかり成績も残していますし(通算成績/打率.321、171本塁打、558打点)、彼がいてくれたことで僕らも楽しく野球ができました。

 日本に慣れよう、日本語を覚えようといった姿勢もすごく伝わってきました。みんなが声をかけて、クロマティもたくさん冗談を言ったり、ちょっかいを出したりしてね。

――4割を打つんじゃないか、と思えるくらい打ったシーズンもありましたが(1989年、打率.378で首位打者獲得)、バッティングはいかがでしたか?

篠塚 日本に来たばかりの頃は、彼自身も「大きいのを打たなきゃいけない」という思いがあったと思うんです。だから、逆方向に打つバッティングをしている感じはなかった。ただ、いろいろな選手とバッティングの話をしていましたし、僕の広角に打つバッティングを見て「何かを得た」という話も聞きました。それで逆方向の打球が増えるなど、少しずつバッティングを変えていったことは見ていてわかりました。

――6番・ファーストには中畑さんを選ばれました。

篠塚 何でも全力で取り組むタイプでした。自分の守備のことを「俺は、あんまり守備はうまくないから」と陽気に言ってみたり、ムードメーカーでもありましたね。バッティングは逆方向にも打てるし、ある程度の打率を残しています(通算打率.290)。中畑さんは4番を打っていた時期もあるし、調子がよければ4番でも起用できる。ただ、6番にいると相手はかなり嫌だったでしょうね。

 私と中畑さんは、セカンドとファーストで守備位置も近かったので、コミュニケーションもけっこうとっていましたよ。ユニフォームを着ていない時でも、中畑さんとは冗談を交えながら野球の話をしたりしましたね。

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