5球団競合の楽天ドラ1左腕を襲ったいきなりの悲劇「何を言われたのかわからないくらい、ボロクソに叩かれたことだけは覚えています」 (3ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Sankei Visual

 それだけに、周囲の冷たい視線が苦しかった。「あれを経験したら、何でも耐えられますよ」と、長谷部は苦虫を噛み潰したような表情を見せながら続けた。

「何を言われたのかわからないくらい、ボロクソに叩かれたことだけは覚えています。僕はふだん、スポーツ新聞とかあんまり読まないようにしていたんですけど、周りの批判っていうのは耳に入ってしまうものなんで......」

 2年目も5勝止まり。批判にさらされるなど苦しい現状を受け止められていたのは、心の支えとなる理解者がいたからなのだという。

 長谷部がプロ野球生活のなかで「一番お世話になった」と即答したのが、楽天でおもに二軍投手コーチを務めていた高村祐だった。同じドラフト1位で近鉄に入団した彼もまた、度重なる故障を経験しながらも14年間、プロの世界を生き抜いた実績を持つ。

 そんな高村に、長谷部は心を開いた。

「どんなに投げ方を変えみても力が出ないんです。どうしようもなくないですか?」

 長谷部が愚痴るたびに、高村は「いろいろ試してみよう」と寄り添ってくれた。

「高村さんはすごく苦労された経験を持っていらしたんで、僕のことをすごく理解してくれたんですね。だからいろいろ相談に乗ってもらいましたし、助けられました」

 2012年の5月に2度目の手術を決意したのも、そんな暗中模索のなか「少しでもいいパフォーマンスができるなら」と考え抜いた末での選択でもあった。この頃には左ヒザは軟骨の損傷がひどく、ほかの箇所から移植する大がかりな手術だったという。医師からは「復帰までに1年はかかる」と明示された。

 術後から3カ月間は左足を地面に着くことができず、歩行が許された当初は平衡感覚を取り戻すのに苦労したほどだった。しかし、最初から1年と決めて手術を受けた長谷部に不安や焦燥はない。あったのは「投げられるようになれば、多分よくなる」という、淡くとも確実に抱ける未来への期待だった。

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