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5球団競合の楽天ドラ1左腕を襲ったいきなりの悲劇「何を言われたのかわからないくらい、ボロクソに叩かれたことだけは覚えています」 (2ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Sankei Visual

 本格的な痛みが長谷部を襲ったのは試合後からだ。左ヒザが急激に熱くなる。ジンジンと疼くような痛みが消えることがなく、歩行さえも困難になっていった。

 左ヒザの半月板損傷。病院で検査をすると、医師からそう告げられた。これまでの野球人生で手術の経験がなかった長谷部は、リハビリで傷を癒す保存治療を選択した。自らの体にメスを入れることに少なからず恐怖心があったことも事実ではあるが、それが100%の決断理由ではなかった。

 焦り。実際はそこに尽きる。

「ドラフト1位で入って、周りの期待とかも伝わっていましたし、『ゆっくり治そう』って思えなかったんです」

【苦境のなかでの唯一の理解者】

 シーズンが開幕し、話題のルーキーがマウンドに上がる。自分ではキャッチャーミットをめがけて投げているつもりでも、ボールは力なく明後日の方向に放たれる。そんなシーンも散見した。軸足の左足にしっかりと体重を乗せ、全身の力を目いっぱい使って投げ込む長谷部にとって、左ヒザのケガは選手生命を脅かす致命傷となった。

 2008年、新人王の有力候補と期待されながら1勝に終わった長谷部は、シーズンオフに手術を決断した。だからと言って左ヒザが完治したわけではなく、それどころかまるで憑き物のように長谷部の不安材料となっていった。

 2年目は序盤こそ勝ち星を重ねられたが、夏を迎える頃にヒザが悲鳴を上げた。下半身を満足に使えないため練習ではランニングもできず、比較的、負担の少ないエアロバイクを漕ぐことしかできない。だから、登板では満足なパフォーマンスを発揮できず、打ち込まれる。当時の野村克也監督からぼやかれ、メディアの風当たりも強くなっていく。ファンの野次も耳に届くようになった。

 長谷部は「左ヒザの調子がよくない」という言い訳は一切しなかった。

「トレーニングコーチとか、身近な人以外には言わずに隠していましたからね。ヒザをテーピングでぐるぐる巻きにして投げていたなんて、監督は知らなかったと思いますよ」

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