根本陸夫の肝煎りで西武に入った伊東勤 黄金時代を支えた正捕手は、東尾修ら名投手たちによって育てられた (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

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――森さんは配球に厳しかった?

石毛 森さんは、野村(克也)さんほど配球に厳しいイメージはありませんでした。古田敦也は、野村さんに「何であんなボール投げさせるんや」といったようにしつこく言われて、「根拠は何だ?」ということを学んでいったんでしょうけど、森さんと伊東がベンチ内で話している場面は見たことがありませんでした。

 たぶん伊東は、若い頃はピッチャーに育てられながら自分でいろいろなことに気づいて、中堅・ベテランになっていった。その後はそれまでの経験を活かして、今度は自分がピッチャーを育てていく......そういった野球人生だったんじゃないかなと。

――野村さんと古田さんはベンチのなかで、ぼやきが聞こえるぐらい近くに座っていましたが、森さんと伊東さんはどうでしたか?

石毛 伊東がどこに座っていたかは記憶にないのですが......森さんはあまり多くを語りませんでしたし、ミーティングでさまざまな知識やデータなどをインプットさせるようなこともなかったですね。

――石毛さんからはチームリーダーとして、秋山幸二さんらを叱咤激励されたお話を聞きましたが、伊東さんに対して喝を入れた場面はありましたか?

石毛 伊東に対してはなかったですね。キャッチャーについてはわからない部分も多いですから。

 ただ、自分がショートを守っている時、キャッチャーがどこに投げさせるのかサインを出すわけですが、プロのピッチャーも全部が全部思うように投げられるわけではありません。甘くなったり、逆球になったりしますが、逆球でも抑えられることがあるじゃないですか。そうすると「キャッチャーのリードって何? サインどおりだったら打たれていたんじゃないの?」と、守っている側もわかるわけです。

「逆球でも好リードって言われるのか」みたいなことは、冗談で伊東に言ったことがありますね(笑)。それだけ、西武のピッチャーのレベルが高かったっていうこともあるかもしれません。

(後編:伝説の日本シリーズで、伊東勤は古田敦也と比べられても「常に冷静だった」>>)

【プロフィール】
石毛宏典(いしげ・ひろみち)

1956年 9月22日生まれ、千葉県出身。駒澤大学、プリンスホテルを経て1980年ドラフト1位で西武に入団。黄金時代のチームリーダーとして活躍する。1994年にFA権を行使してダイエーに移籍。1996年限りで引退し、ダイエーの2軍監督、オリックスの監督を歴任する。2004年には独立リーグの四国アイランドリーグを創設。同リーグコミッショナーを経て、2008年より四国・九州アイランド リーグの「愛媛マンダリンパイレーツ」のシニア・チームアドバイザーを務めた。そのほか、指導者やプロ野球解説者など幅広く活躍している。

◆石毛宏典さん公式YouTubeチャンネル
「石毛宏典TV」はこちら>>

プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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