根本陸夫の肝煎りで西武に入った伊東勤 黄金時代を支えた正捕手は、東尾修ら名投手たちによって育てられた

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

石毛宏典が語る黄金時代の西武(7)
伊東勤 前編

(連載6:東尾修はデッドボールにも「なんで謝る必要があるんだ」>>)

 1980年代から1990年代にかけて黄金時代を築いた西武ライオンズ。同時期に在籍し、11度のリーグ優勝と8度の日本一を達成したチームリーダーの石毛宏典氏が、当時のチームメイトたちを振り返る。

 前回の東尾修氏に続く7人目は、長らく西武の正捕手として活躍した伊東勤氏。捕手としてベストナイン10回、ゴールデングラブ賞11回を獲得した伊東氏の、若かりし頃の印象や成長できた理由などを聞いた。

東尾氏(左)が西武の監督になってからも正捕手として活躍した伊東氏東尾氏(左)が西武の監督になってからも正捕手として活躍した伊東氏この記事に関連する写真を見る

【根本陸夫に見出されて西武へ】

――伊東さんは、当時西武の監督を務めていた根本陸夫さんに才能を見出され、1981年のドラフト1位で西武に入団しました。初めて会った時の印象はいかがでしたか?

石毛宏典(以下:石毛) おとなしい雰囲気だったので、明るくて活発という印象はなかったですね。同じ熊本出身の秋山幸二もおとなしかったですが、伊東もそんな感じでした。体が大きくて肩の強さはまずまず。足もそこそこでしたし、バッティングもそんなに悪くはなかったかなと。

――伊東さんのプロ1年目は、監督が広岡達朗さん、ヘッドコーチが森昌彦さんでしたが、伊東さんを厳しく指導していたんでしょうか。

石毛 森さんが伊東に技術的な指導をしている場面は、ほとんど見ませんでした。ただ、僕らから見えるところでそうだっただけで、リード面、特にインサイドワークなんかは、コーチ室やグラウンド外の場所で個人的に教えていたのかもしれません。

 根本さんの肝煎りで獲った選手ですから、「ゆくゆくはライオンズの主力キャッチャーに」という考えがあったでしょう。根本さんからすれば、広岡さんと森さんに伊東を託して、「頼むぞ」という気持ちだったと思います。

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著者プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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