伝説の日本シリーズで、伊東勤は古田敦也と比べられても「常に冷静だった」石毛宏典が振り返る捕手、監督としての能力
石毛宏典が語る黄金時代の西武(7)
伊東勤 後編
(前編:根本陸夫の肝煎りで西武に入った伊東勤 黄金時代を支えた正捕手は、東尾修ら名投手たちによって育てられた>>)
長らく西武の正捕手として活躍した伊東勤氏。現役引退後は西武(2004年~2007年)とロッテ(2013年~2017年)で監督を務めるなど、指導者としても活躍した。石毛宏典氏が語る伊東氏の後編では、球史に残る激闘となったヤクルトとの日本シリーズ(1992年、1993年)、伊東氏の監督時代の話などを聞いた。
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【キャッチャーがクローズアップされた日本シリーズ】
――野球においてキャッチャーはもちろん重要なポジションですが、昔は今ほどキャッチャーが脚光を浴びることは多くなかったような気がします。
石毛宏典(以下:石毛) そうですね。あくまで、ピッチャーが主役でキャッチャーは脇役という感じで、あまり注目されていませんでした。それを森祇晶さんや野村克也さんが監督をやられて結果を残し、「キャッチャーは大変なポジションなんだ」ということが広く認知され、キャッチャーが重要視され始めた。
僕らが若い頃は、ノーサインで投げるピッチャーもいましたね。キャッチャーを少し下に見ていて、「お前は受けりゃいいんだ」みたいな。
――森・西武と野村・ヤクルトが2年連続で相まみえた日本シリーズ(1992年、1993年)では、名捕手監督同士の対戦だったこともあり、キャッチャーに注目が集まりました。
石毛 森さんと野村さんの"代理戦争"ということで、伊東と古田敦也が注目されました。野村さんは解説者時代に「野村スコープ」といって、ストライクゾーンを9分割にして配球を解説していましたね。今までにない着眼点で、配球や、打ち取るための組み立てがあるということを教えた。その後、ヤクルトの監督になられて低迷していたヤクルトを優勝に導きました。
一方の森さんも、現役時代は巨人V9時代の正捕手で「V9の頭脳」と呼ばれ、西武の監督としては伊東を正捕手として起用し続けて、在任9年間で8度のリーグ優勝と6度の日本一を成し遂げた。あれだけキャッチャーがクローズアップされる日本シリーズは、今後もないかもしれませんね。
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著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。