根本陸夫の肝煎りで西武に入った伊東勤 黄金時代を支えた正捕手は、東尾修ら名投手たちによって育てられた (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【1年目から名投手たちに育てられた】

――入団間もない頃からキャッチャーとして光るものがあった?

石毛 特筆すべきものは感じませんでしたが、とにかく体が大きくて強いというイメージがありましたね。キャッチャーとしてトータルで見た時に、「将来はチームの主力になりうるだろう」と、素材を見極めて獲ったんだと思います。

 当時の西武は大石友好さん、黒田正宏さん、吉本博といったキャッチャーがいましたが、バッティングは吉本がよく、リード面とか肩は大石さんがよくて、黒田さんはベテランになって肩が衰えていましたが、インサイドワークがよかったですね。

 そんななか、伊東は1年目(33試合出場)、2年目(56試合出場)に試合に使ってもらって経験を少しずつ積んでいきました。1982年の中日との日本シリーズの時にはベンチにも入っていましたし、1983年の巨人との日本シリーズではもう出ていたんじゃなかったかな(第3戦~第7戦の4試合にスタメンで出場し、西武の日本一に貢献)。

――工藤公康さんなどもそうでしたが、高卒でプロ入り間もない選手でも、当時の西武は積極的に起用していたんですね。

石毛 根本さんから「使ってくれ」みたいなところもありましたけどね。それでも広岡さんはちゃんと見極めていて、工藤も1年目から使っていた。ベテランから若手に切り替える時期でもありましたし、いいものは使って伸ばしていこうという感じだったと思います。

――内野を守っていた石毛さんから見て、伊東さんのリードなどはいかがでしたか?

石毛 内野手だった僕からすると、伊東のキャッチャーとしての資質がどれくらいか、ということはあまりわかりませんが、伊東が主力キャッチャーになっていった時期は、東尾修さんや工藤、渡辺久信、郭泰源、渡辺智男、石井丈裕らすばらしいピッチャーが次から次へと出てきたわけです。

 なので、リードする立場でありながら、そういったすばらしいピッチャーたちの球を受けることで逆に指導されたというか、学んでいった部分、それによって成長できた部分がたくさんあったのではないでしょうか。

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