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ヤクルト奥川恭伸は「この1年間はつらいことばかりでした」 戸田球場に生きる悲哀と苦悩、そして希望 (6ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Sankei Visual

 チームは若手抜擢が続くなか、川端は4月4日に一軍登録されると、ここまで代打で20打数8安打(1本塁打)、打率.400と勝負強さを見せつけている。

「二軍にいる時、一軍への思いはその時によって違いはありましたが、変わらないのは一軍で活躍してやるんだという気持ちですね。そこだけは絶対に持ち続けていました」

 5月14日、戸田球場を訪れると、グラウンド管理責任者の榊一嘉さんが芝刈りトラクターに乗って外野の芝をならしていた。

「戸田の四季は、ものすごい風が吹きつける日もありますし、冬は地面が凍結するような寒い日もあります。夏はビジター球団の方が『今年も戸田の季節がきましたね』と笑うほど酷暑になります」

 2019年10月には、台風19号に伴う猛烈な雨で球場が水没したこともあった。

「そうした環境のなかで、選手がここで結果を出して『明日から一軍へ行ってきます』と報告してくれるのはいつでもうれしいことですし、この前はある選手に『もう戸田に戻ってこなくていいよ』と話しました(笑)」(榊さん)

 朝9時が近づくと選手たちが姿を見せ始め、やがて練習が始まる。サブグラウンドでは、奥川と山本大貴がキャッチボールをしていた。真っすぐの強さ、変化球の鋭い曲がりは、息が止まるほどのすごみのあるボールだった。リハビリ中によく見かけた考え込みながら投げている姿はない。なによりキャッチボール中の奥川の楽しそうな表情が、状態のよさを物語っている。

「今は投げる時の感覚がいいので、あまり考えずにやれています」

 陸上競技場ではリハビリ組の松本直樹が走り込みを行ない、吉田大喜と育成の岩田幸宏がキャッチボールをはじめていた。戸田球場で練習に明け暮れるひとりでも多くの選手が、一軍の舞台に立って活躍することを願ってやまない。

著者プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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