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斎藤佑樹が明かす早大野球部100代主将就任の舞台裏「無理だよって...でも流れは止められませんでした」 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 僕が3年の時は、春も秋も優勝できませんでした。ということは、僕の一つ上の先輩たちは最上級生の年に優勝を経験できなかったことになります。しかも秋のリーグ戦では、この試合に勝てば優勝という早慶戦で負けてしまいました。

 1回戦の先発を任されたのに4イニングしか投げられずに(3失点で負け投手)大敗、2回戦もリリーフで9回に登板しましたが、ダメ押しの1点をとられて連敗。慶應に勝ち点を落とした結果、明治に優勝をさらわれてしまいました。

 さすがにあの時だけは試合後、ベンチ前で思わず泣いてしまいました。1学年上には早実でピッチャーとして一緒に戦った高屋敷(仁)さんもいましたし、早実のキャッチャーでキャプテンを務めていた武石(周人)さんもいました。武石さんは大学では新人監督で、学生コーチでもありましたから、戦略的なミーティングをする機会も多かったし、ものすごくお世話になっていたんです。

 松下(建太)さん、楠田(裕介)さん、大前(佑輔)さん......この代の先輩たちとは、3年間という長い時間をともに過ごしてきました。僕が1、2年の時の4年生はリーグ優勝を味わって、そこには僕も少しだけ貢献できたという気持ちもありましたが、もっとも長く過ごした先輩たちには貢献することができなかった......それが申し訳なくて、悔しかったんだと思います。

【初めてプロの打者と対戦】

 3年のシーズンが終わって(2009年11月22日)、プロのU−26の選抜チームと試合をする機会がありました(セ・パ誕生60周年を記念したU−26NPB選抜対大学日本代表)。その試合で大学選抜の先発ピッチャーに選んでいただき、1イニングだけでしたが、プロのバッターと対戦することができました。

 自分がプロへ進む前にその当時、プロで活躍している選手たちと対戦することで自分のレベルを推し量るいい機会だなと思っていました。同時に、自分が大学に進んでよかったんだぞってことを証明できるいいチャンスだなとも思いました。なぜ高校からプロへ行かなかったのかという声があることは何となく知っていましたし、僕にも意地のようなものがあったんでしょうね(笑)。

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