「ハンカチ王子を卒業しろ」 恩師からの檄に斎藤佑樹はプロに向けて150キロを目標に掲げた (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 思えば1年の時は必死で先輩方に喰らいついていって、いきなり春のリーグ戦で優勝しました。いつしか自分がチームを引っ張らなきゃいけないという感覚になって、秋も優勝しました。でも2年の春に明治に負けて優勝を逃した時、そんなに悔しさを感じなかったんです。自分のピッチングが悪かったという感覚もなかったし(9試合3勝2敗、防御率1.75)、秋にはまた優勝しましたし......正直、そんな感じなんです。

【150キロを投げたい】

 あの頃の僕はよくも悪くも淡々としていて、自分がやるべきことをやろうと強く意識していました。だから僕のピッチングがよければ、ちゃんと仕事はしたんだからそれでいいと考えていたんです。ふつうに考えたらそれって自分勝手な考え方だと思われるんでしょうね。ただ僕は、それは自分にとってはいいことだったと、今でも思います。何かを背負うということをせず、淡々と自分のすべきことに集中する感じでずっと行ければよかったのかもしれません。

 たぶん2年の秋はそういう感覚を持てていたんでしょう。心身ともラクに投げられていた記憶があります。実際、イニング数も伸びていましたし(7回を投げきった試合が9試合中6試合)、法政と明治の試合も土曜に僕が勝って、日曜を落として月曜にまた僕が勝って、というのが続いたんじゃなかったかな(法明と戦った10日間で、法政の1、3,4回戦、明治の1、3回戦の5試合に先発、斎藤はいずれも勝って早稲田に勝ち点をもたらしている)。

 あの時の僕は大学へ入学してから思い描いてきたエース像、そのままでした。土曜に勝って、日曜負けても月曜に勝つという......法政の3、4回戦は2試合続けて9回をゼロに抑えましたし、早慶戦も土曜と月曜に勝ちました。

 ところが僕は、あの2年秋のピッチングを自分で認めてあげられなかったんです。バランスという意味では変化球でカウントをとれて三振もとれて、真っすぐも145キロは出ていたはずです。だったら「それでいいじゃん」と、そのまま順調にステップアップしていけたらよかったのに、僕はそういう自分に不満を持ってしまっていました。

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