「ハンカチ王子を卒業しろ」 恩師からの檄に斎藤佑樹はプロに向けて150キロを目標に掲げた
大学2年の秋、斎藤佑樹はリーグ戦ですばらしい結果を出した。9試合に投げて7勝1敗、防御率0.83──1回戦を斎藤で勝って、2回戦を落とし、3回戦を斎藤で勝つという東京六大学の"あるべきエース像"を、この時期の斎藤は体現していた。
大学2年の秋、7勝1敗、防御率0.83というすばらしい成績を残した斎藤佑樹この記事に関連する写真を見る
【先が読めるようになった】
2年の秋には変化球で簡単にストライクがとれるようになりました。それまではストレートを振らせにいってファウルや空振りでカウントをとってから最後、変化球を決め球に使っていたんです。でも変化球をカウントボールに使うことを覚えたら、勝負の幅が一気に広がりました。
変化球を投げてポンッと簡単にストライクをとれると、追い込んでから真っすぐでも変化球でも勝負できるんです。2年の秋は、ストライクをとるのってこんなに簡単だったんだ、という感じがありました。それがいい結果につながっていたんだと思います。
初球、たとえばスライダーで簡単にストライクがとれるようになったのは、バッターが見えていたからだと思います。とくに調子がいい時には、「ああ、このバッターはスライダーを振らないな」ということが見えていました。高校時代からそういう感覚はあったんですが、大学2年の頃にはバッターだけじゃなく、相手チーム全体を見渡せるようになった気がします。
ランナーが一塁にいる時、目の前のバッターにホームランを打たれての2点を考えるのではなく、もしこのバッターにヒットを打たれて一、二塁、あるいは一、三塁になったら、その次のバッターにどういうピッチングをすべきか、というところまで考えられるようになっていました。
要は、先が読めるようになったということなのかな。もともと僕はありとあらゆる状況を想像して、いろいろなことを柔軟に考えることを大事にしていました。緊張や不安をどう受け止めて、どう考えるかというところも冷静に見ていたと思います。大事な場面で前の打席に打たれなかったバッターを迎えたら、ランナーがいない場面で打てないのにここで打てるはずがない、と考えられるんです。
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著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。