ヤクルト守備陣を支える名ノッカーたち 村上宗隆のひと言で森岡コーチは「スイッチノッカー」を目指す

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Koike Yoshihiro

 北戸田駅(埼玉)から歩いて土手に出ると、ヤクルト二軍の戸田球場が見えてくる。晴れた日にははるか向こうに富士山が望め、土手をおりていくと「コーン、コーン」と乾いた打球音が聞こえてくる。

 今年1月のこと、「朝早くから熱心だな」と球場に着くと、ひとりでノックの練習をする森岡良介内野守備・走塁コーチの姿があった。新人合同自主トレが始まる1時間以上も前、時間は朝の8時半だった。

ノックを打つヤクルト・森岡良介コーチノックを打つヤクルト・森岡良介コーチこの記事に関連する写真を見る

【きっかけは村上宗隆のひと言】

「1月にノックの練習をするのは毎年の作業です。選手たちが2月1日に合わせトレーニングしてくるなかで、キャンプ初日からしっかりしたノックをしないと失礼ですので」

 今年は左だけでなく、「右でも打てるようにしたい」と練習に取り組んでいた。その理由は、村上宗隆のひと言がきっかけだった。

「サードとしては、右(打ち)の打球のほうが見にくいので、より実戦に近いですね」

 昨年、村上は新型コロナウイルスに感染した影響で、キャンプは二軍スタートとなった。その時、右打ちの城石憲之コーチのノックを受けて、そう感じたという。

「なるほどな、と。そこで右打ちの練習も始めたのですが、まだ選手に打つには失礼なレベルです。球の質がちょっと弱いですし、スピンのかかった打球や、意図した打球がまだ打てません」

 2月、ヤクルトの春季キャンプ(沖縄・浦添市)。朝の8時が近づくころ室内練習場から「コーン、コーン」と打球音が聞こえてきた。のぞきこむと、ひとりでノックの練習をする森岡コーチだった。

 キャンプ初日、午前中はアップ、コンディショニング、キャッチボール、そしてノックに40分をつかってランチタイムとなった。午後も守備練習は組み込まれ、特守はサブグラウンドで1時間近くを費やした。

 髙津臣吾監督にノックが印象に残ったと伝えると、「キャンプ前の第一声で言ったのは、絶対に隙を見せてはいけない、ということでした」と話した。

「チームとして相手の隙をつく野球をやらないといけないので、絶対にこっちが隙を見せてはいけない。昨年終盤の戦いの反省も踏まえ、守備と走塁をおろそかにせずやっていくキャンプにしたいと伝えました」

 キャンプ2日目から、ノックについてコーチや選手たちに話を聞いてまわった。

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プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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