WBC準決勝で対戦する日本とメキシコの因縁の歴史 過去の対戦成績は圧倒しているが大谷翔平対策は万全か (2ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi
  • photo by Getty Images

 コロンビア、パナマ、ドミニカを転戦した巨人は、2カ月に及ぶ長い遠征の最後の地としてメキシコを訪問。南部ユカタン半島のメリダ、中央平原のプエブラ、そして新球場が完成した首都メキシコシティなどでオープン戦を行なったが、遠征の疲れからか敗戦を重ねた。

 そして1966年春には3度目のリーグ制覇を成し遂げたメキシコシティ・タイガースが来日し、今度は日本のチームとオープン戦を行なうが、その結果は13戦全敗。中南米遠征の際、巨人の選手たちは慣れない現地の習慣などに悩まされ、野球どころではなかったと嘆いたそうだが、この時のタイガースナインも同じ心境だったのだろう。

 グローバル化以前のこの時代、太平洋を渡ってプレーするのは相当の困難があったようだ。

 その後、1990年まではプロ・アマの壁が高かったこともあり、国際大会の舞台で両国のプロ選手が対戦することは皆無だった。だが2000年のシドニー大会以降、オリンピックの舞台で"プロ解禁"となると、国際大会のトップレベルは次第にプロ中心となっていく。

【侍ジャパンの常設化に伴い対戦増える】

 プロ主体の両国のナショナルチームが激突したのは、冒頭に挙げた第1回WBCが最初だが、その後WBCでの対戦は今回まで実現しなかった。

 だが、2015年にもうひとつの「野球世界一決定戦」として『プレミア12』が開催されたが、この大会で日本とメキシコは第1ラウンドと3位決定戦で2度対戦。結果はともに日本の快勝で終わった。

 このプレミア12の翌年にはU23ワールドカップが始まり、メキシコがホスト国に。日本はプロの若手主体で挑み、同じくプロ主体で臨んだメキシコとスーパーラウンドで対戦し、3対2でかろうじて勝利をもぎとり、優勝への足がかりをつかんだ。この大会でMVPを獲得したのは、今回のWBCで中国代表として出場した真砂勇介(当時ソフトバンク/現・日立製作所)だった。

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