2人の大谷翔平が「重たいゲーム」を支配 わんぱくな野球少年の原風景と修羅場をくぐり抜けてきた経験力
かかる、といえば競馬用語で、競走馬が興奮のあまりにやたらと前へ行きたがって騎手の制御が効かなくなる状態をいう。WBCの初戦、先発を託された大谷翔平がこんなふうに"かかって"いるのを久しぶりに見た。
彼が「特別」だと何度も表現した、思い入れたっぷりの大舞台、WBC----その試合前、大谷は誰よりも早くベンチを駆け出し、マウンドへと向かった......いや、向かってしまった。まだスタメンの野手が全員、ベンチに座っていたというのに、おそらく監督同士のメンバー交換が思ったよりも長くて待ちきれなくなったのだろう。ベンチに戻る栗山英樹監督が、早々にマウンドへ向かう大谷を見て、「早いよ」と苦笑いを浮かべている。
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【制御の効かないストレート】
ふと思い出したのは、テトラポッドだった。
大谷が小学生の時、当時、彼が所属していた水沢リトルリーグの春合宿が福島県の相馬で行なわれた。誰よりも張りきっていた大谷は、行くなと言われていた海へ遊びに出かけて、テトラポッドをポンポンと飛んでいるうちに、失敗してジャッボーンと海に落ちた。当時、岩手県の水沢リトルリーグで事務局長を務めていた浅利昭治さんがこう話す。
「翔平はヒョロッとした子で、背もみんなより少し大きいくらいでした。小学校に軟式のスポーツ少年団があるのに、ひとりで硬式のリトルリーグに来るなんて、勇気ある子だなと思っていました。足が速くて、肩が強くて、マイペースで無口で、そのくせわんぱくでね。私たち、春には福島の相馬で合宿してたんですけど、そこで『大変です、ひとり、海に落ちました』って報告があったんです。私、すぐに聞き返しましたよ、『翔平か?』って......そうしたら、『そうです』と(笑)。喜んで、はしゃいで、牛若丸みたいにポンポンとテトラポッドを飛んでいるうちに、滑って海へジャッボーンと落ちたらしいんです。危ないから行くなと言っても、行きたかったら行くんですよね、あの子は......」
野球少年だったあの日の大谷も、きっと"かかって"いたのだろう。張りきって海へ飛び出して、テトラポッドを飛んで、ジャッボーンと落ちた。しかし、メジャーリーガーとなった今の大谷は、WBCという「特別な」マウンドに張り切り、"かかって"マウンドへ飛び出しても、海には落ちない。
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著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。