ヤクルト中村悠平「20年にひとりの逸材」の成長記 恩師「高校で捕手としての頭と心ができた」 (3ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by Kyodo News

 目のふちを赤くしながら、感動している中村を見て思ったのは、キャッチャーというポジションに必要なのは、強肩としつこさと、こういう感受性なのかもしれない。

「自分、きっとチームメイトには嫌われていたと思いますよ。キャッチャーは"指導者"だと思っていますから。グラウンドマネージャーって言うのか、逆にほかの選手たちと同じ目線じゃいけない。必要があれば、同期の3年生も叱れないと、僕がいる意味がないと思っていました。『甲子園に行きたいから叱るんだ。これはオレからのアドバイスだから』と。あえて、自分が傷つくリスクを冒しても、チームのために......なんて言ったら、カッコよすぎるんですけど」

 そう言いながら、また目をクリッとさせて、愛嬌のある笑顔を見せた。

【20年にひとりの逸材】

「ウチ(福井商)は歴史のある学校なんで、いい選手がどんどん入ってくるように思われているんですけど、じつはそうでもなくて......」

 そう語ったのは、福井商の北野尚文監督だ。この2年後の2010年に勇退されるまで、春夏合わせて36回も甲子園に出場した名将である。

「近年はいい選手に声をかけても、なかなかの入学難で...そんななか(中村)悠平は、間違いなく20年にひとりのキャッチャーですね、ウチでは」

 たしかに、夏の甲子園での中村のスローイングはすばらしかった。二塁送球の際のしなやかな腕の振り、投手に返球する時のスナップスローの鮮やかさ。それ以上に、フットワークで腕を振るメカニズムが低い送球姿勢につながっていて、安定感抜群の送球軌道を生んでいた。

「地を這うような送球が、マウンドの向こうでグーンとホップするような......ね。入学してきた頃から、もうそういうボールを投げていました。悠平の代でなかなかエースをつくれなくて、3年の春に一時期ピッチャーで使ったことがあったんですけど、あの時は本人もまんざらではなかったと思いますよ」

 入学時からかなりの期待を背負っただけに、中村本人は相当苦労したはずと、北野監督は話してくれた。

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