ヤクルト中村悠平「20年にひとりの逸材」の成長記 恩師「高校で捕手としての頭と心ができた」 (2ページ目)
思ったとおり、"お世話"のできるヤツだ。
「レギュラーで唯一の2年生だったんですよ、竹沢は。だから甲子園では周りに遠慮しないように、がむしゃらに自分の力をすべて出して欲しかった。サインに首を振っていいから、投げたいボールを投げてほしかった。まず僕に慣れてもらうために、下宿先に呼んでいろんな話をしたりしました。一緒にゼリーを食べながら(笑)」
【チームメイトには嫌われていた】
当時、中村は学校の近くに下宿していた。名刹・永平寺に近い実家から、電車を乗り継いで通うこともできたが、その往復の2時間あまりを"野球"のために使おうとしていた。
「『甲子園ではオレを信じて投げろ!』って、そればかり言っていたような気がします。竹沢は長身で腕も長くて、大型左腕にありがちなフォームのぎこちなさもなく、1年からベンチに入っていて期待されていたんですよ。でも責任感がもうひとつっていうか、2年でエース格になってもなかなか自覚を持てず、ここぞという場面でボールを置きにいって打たれることがあったんです。それで『自分を信じられないんだったら、オレを信じて投げろ!』って」
敦賀気比、福井工大福井、北陸、さらに公立校にも強豪校が何校もあって、参加校数は少なくても激戦の福井大会。
そこを名門・福井商のエースとして勝ち抜き、甲子園の初戦でもわずか5安打1失点の完投勝利。2年生エース・竹沢は、"世話女房"のおかげでプロ注目の左腕にまで台頭していた。
「最終的にはアイコンタクトで会話できるようになりたかったんですけど、そこまではどうだったかな......」
こういう時に、クリクリまなこでにっこり笑う中村は、当時から愛すべきキャラだった。
「甲子園では、次の試合で竹沢が仙台育英(宮城)に打ち込まれて負けたんですけど、こっちに帰ってきてから、あいつが『中村さんについてきてよかったです』って言ってくれて......もともと控えめで、自分から何かを言うヤツじゃなかったのに......泣ける言葉じゃないですか。ひとりのピッチャーをずっと見てきて、『育てられた!』って実感しましたね」
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