ヤクルト中村悠平「20年にひとりの逸材」の成長記 恩師「高校で捕手としての頭と心ができた」 (4ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by Kyodo News

「ピッチャーが弱い時期でしたから、悠平も下級生の頃からマスクを被って、打たれると自分のせいだと感じる性格なので、つらかったはずですよ。ただピッチャーが弱いとキャッチャーが育ちますね。その場その場で、ピンチをしのいでいくとっさの知恵みたいなものが身につきます。あれこれと一日中野球のことを考えて、たぶん教室でも前の試合でやられた原因だの、そんなことばかり考えていたと思いますよ。キャッチャーとしての"頭"と"心"ができたんじゃないでしょうか」

【タフな肉体とメンタル】

 フィジカルもトップクラスだった。あるスポーツ用品メーカーが行なったスピード・パワーテストで、5点満点中の5点評価。3000人にわずか数人の能力の高さだったという。

「3年の春から夏にかけては、土日の練習試合4試合、すべてマスクをかぶらせました。悠平にとっても、私にとっても、勝負をかけた時期でした。でも、クタクタになりながらも、やりきった悠平はすごいですよ。体もメンタルも本当にタフで。天性の明るさで乗りきりましたからね」

 ドラフトまであと1カ月ほどの時期だっただろうか。新チームの練習が行なわれているグラウンド脇の監督室で、中村との野球談義は3時間以上にも及んでいた。

 練習が終わって、監督がお帰りになり、部長先生もお帰りになり、それでもまだ話が終わらず、「校門を閉めますから」と守衛さんに言われてもまだ話が終わらず、最後は彼の行きつけの店で話の続きを......となった。

 だが目指したお店も閉まっていて、「この時間なら仕方ないね」と、うしろ髪を引かれる思いで解散となったのだが、時間は夜9時をまわっていた。

 ここ数年はキャンプ中でのアイコンタクトだけで、じっくり言葉を交わしたことはないが、その間、2年連続セ・リーグ優勝に導き、2021年は日本一に輝いた。そしてこの春、堂々の実績を引っ提げてのWBC参戦だ。

 高校時代、それほどすごい実績があるわけでもない捕手がひっそりとプロに進んで、レギュラーマスクの座をつかんだ。その間、辛酸をなめながら、どれほどの努力を尽くしてきたことか。

 マウンドで華やかに輝く投手たちに目を奪われるなかで、ひっそりと"空気"のようなさりげなさで中村が1球1球、丁寧に剛球をミットにおさめている。

プロフィール

  • 安倍昌彦

    安倍昌彦 (あべ・まさひこ)

    1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。

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