侍J戦士・吉田正尚に高卒→即プロをあきらめさせた男・釜田佳直が明かす「戦慄のサードフライ」と「果たされぬ出世払いの約束」 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

 この試合で自信をつけた釜田は、そのまま北信越大会で優勝。ひと冬越えてさらに球質に磨きをかけ、翌年の甲子園に春夏連続出場して実力を発揮した。同年ドラフト会議では楽天から2位指名を受け、プロ入りを果たしている。

【大学球界屈指の強打者に成長】

 逆に吉田は北信越大会での屈辱から、プロ入りへの思いにフタをする。過去に吉田はこんな発言をしている。

〈高校2年の秋で一度プロはあきらめたんです〉〈「こういう投手を打てないと高卒でプロには行けないんだな」と痛感しました〉(ともに『野球太郎』No.016より)

 この発言について釜田は「彼が盛りすぎてるんですよ」と一笑に付す。だが、吉田にとっては相当な絶望感があったに違いない。

 ふたりが初めて会ったのは、高校を卒業してしばらく経ってからだった。共通の知人を介して、東京で食事をすることになった。吉田は大学野球の強豪・青山学院大でじっくりと力をつけていた。

 釜田は「どんな話をしたのかは思い出せないんです」としつつも、おどけるようにこう語った。

「その時は僕がプロだったので、ご馳走しているんです。正尚には『出世払いだな』なんて言ってたんですけど」

 釜田は高卒1年目の2012年にいきなり一軍デビューを飾り、2完投を含む7勝をマークしていた。近未来の楽天のエースの座を狙える位置にいた。

 吉田は体がひと回り大きくなり、大学屈指の強打者として注目されるようになっていた。2015年のドラフト会議ではオリックスから1位指名を受け、プロ入り。入団後2年間は腰の故障に苦しんだものの、その後の活躍ぶりについては説明不要だろう。

 一方の釜田は、プロ2年目以降は苦しみ続けた。肩・ヒジの故障が相次ぎ、何度も手術を経験している。

 釜田に聞いてみた。「プロで一番納得のいくボールを投げられた時期はいつですか?」と。釜田は少し考えてから、こう答えた。

「1年目じゃないですか。ストレートに自信を持って、マウンドで堂々と何の迷いもなしに投げられましたから」

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