侍J戦士・吉田正尚に高卒→即プロをあきらめさせた男・釜田佳直が明かす「戦慄のサードフライ」と「果たされぬ出世払いの約束」 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

 高校1年秋の北信越大会でサヨナラヒットを打った吉田について、当時監督を務めていた林博美さんはこう評していた。

「相手がよく勝負してくれました。もう福井ではほとんど勝負してもらえないですから」

 対する釜田は、その時点で甲子園出場経験はゼロ。だが、2年秋時点で最速150キロを超える速球派として台頭していた。かといって、力任せに剛球を続けるようなタイプではない。チームの絶対的なエースである釜田は、要所でギアチェンジして抑える投球スタイルになっていた。敦賀気比戦の場合、「要所」が吉田の打席だった。

「当時の僕は、一番いいバッターに一番いいピッチングをするような感じで投げていました。正尚が打席に入ったら、特別に力を入れて投げていた感覚はあります。プロ注目のバッターだし、勝敗を別にして『このバッターだけは抑えたい』というライバル心がありました」

 釜田の戦略は、「強い真っすぐとスライダーをインコース近辺に投げ込む」というもの。1打席目では狙いどおりの攻めでサードフライに打ちとったが、その打球に釜田は目を見張った。当時の衝撃を釜田が振り返る。

「打たれた時の打球の高さとスイングスピード。あれは今でも覚えています」

 ただし、この日の吉田は本来のスイングができていなかった。釜田の速球を意識したのか、いつもならゆったりと呼び込む間合いがなく、雄大だったフォロースルーも見られずじまい。当時の林監督は「気負いすぎ」と評していた。

 4対1と金沢がリードして迎えた3回裏、二死満塁のピンチで吉田と対戦した釜田は、高めの快速球で詰まらせセンターフライに打ちとる。釜田は自分の投球に手応えを覚えていた。

「凡打の内容的に押し込めていたので、自分の真っすぐに自信が持てました」

 吉田は抑え込んだ一方で、その前を打つ痩身の1年生打者には右へ左へと快打を打たれた。釜田は「すげぇいいバッターだな」と兜を脱いだ。のちに広島で活躍することになる西川龍馬である。当時のサイズは身長174センチ、体重59キロだった。

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