辻発彦が語る広岡達朗、森祇晶、野村克也、落合博満の4人の名将。「野村監督のベンチでの小言は選手にヒントを与えている」 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Sankei Visual

── 広岡さんが指揮を執っていた時以上に、森監督の野球は手堅いと言われていました。

 戦い方として、投手力がよかったら、初回から送りバントをしますよ。当時は「西武打線に1点奪われたら、あの強力投手陣から2点とるのは厳しい」というくらい、相手チームは意気消沈していましたから。

 森監督は、投手の使い方がうまかった。先発で投げた工藤、渡辺久信らを、そのあとの試合ではリリーフに持っていく。投手陣が若かったからできたというのはあったかもしれません。とくに日本シリーズの短期決戦では"必勝パターン"をつくるという思いきりがありました。

【野村監督のボヤキは学びの宝庫】

── ヤクルトに移籍した97年から野村監督のもとでプレーすることになります。森監督と野村監督は現役時代、ともに名捕手として活躍されましたが、ふたりの違いはどこにありましたか。

 森監督は伊東に対して、野村監督のようなあんなブツブツと説教はしていませんでしたね。古田(敦也)は相当言われていたみたいですから(笑)。でも、野村監督のつぶやきはすごいですよ。ベンチでブツブツといろんなことを言いながら、選手にヒントを与えているんです。だから私も、ベンチで耳をそばだてて聞くようにしていました。

 野村監督は選手操縦法がうまく、人身掌握術に優れていました。選手をたびたび褒める監督ではありませんが、話術に長(た)け、マスコミを通して選手を褒め称えます。「自分には何も言ってこなかったけど、認めてくれていたんだな」と、褒め言葉を新聞で読んだり、記者に聞いたりすると、それはうれしいものですよ。

── 西武退団時、野村監督と当時ロッテのGMだった広岡達朗さんに誘われましたが、最初に声をかけてもらったこと、そして「ノムラ野球」を知りたかったという理由で、辻さんがヤクルトを選んだと聞いたことがあります。

 私は東尾修監督時代の95年シーズンを最後に、西武を退団することになり、真っ先に森さんに相談しました。「現役引退し、コーチ就任を打診されたので、自由契約にしてもらいました」と。すると、「そうか、じゃあちょっとノムさんに電話してみるわ」と言って、その後、森さんから連絡がきました。「ノムさんが『辻がヤクルトに来てくれるなら大歓迎』と言っていたよ」と。

 西武であと1年、38歳までやりたいなと思っていたのが、ヤクルトで4年間もプレーさせてもらい、結局41歳のシーズンまで現役でできました。しかも97年には、古巣・西武との日本シリーズも経験させてもらいました。森監督にも、野村監督にも感謝しています。

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