田中正義は新天地・日本ハムで輝けるか。人的補償が「野球人生の転機」となった5人の男たち (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Kyodo News

 過去には江藤智や工藤公康といったタイトルホルダーから、内海哲也や長野久義といったドラフト1位選手までさまざまな選手が人的補償として移籍し、多くのドラマを生んだ。今回は人的補償が転機となり、新たな野球人生を送った5人を紹介したい。

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【通算371試合ながら現役17年】

 小田幸平はキャッチングとブロックのうまさに定評がある捕手だった。巨人での新人時代、桑田真澄の投球を受けた小田は「キャッチングがうまいね。守備で生きていけば」と褒められた。

 古田敦也(ヤクルト)を目標に置き、捕球重視の大きめのキャッチャーミットを使っていた。今でこそ「コリジョンルール」があるため、捕手は本塁でブロックしないが、まだルールがない当時、本塁での衝突プレーは日常茶飯事だった。その際、走者の突入時に生還を許さない小田のレガースの使い方は巧みだった。また明るいキャラクターで、清原和博からかわいがられた。

 2005年オフ、野口茂樹の人的補償で中日に移籍。落合博満監督には、荒木雅博や井端弘和の盗塁阻止が強く印象に残っていたようで、「正直、小田がプロテクトから外れているとは思っていなかった」と語ったことからも、迷わず指名したことがうかがえる。

 移籍後は正捕手・谷繁元信のサブとしてチームを支え、相性がよかった山本昌の"専属捕手"としても活躍した。お立ち台での「やりましたーっ??」は球団がグッズを作成するほど定番となり、大いにファンを沸かせた。

 一軍出場は通算371試合ながら、現役17年は立派である。

【世界を驚かせたスーパーキャッチ】

 赤松真人は「もともと広島の選手ではないか」と思わせるくらいカープの印象が強いが、2004年ドラフト6巡目で阪神に入団し、プロ野球人生をスタートさせた。

 2008年の1月に新井貴浩の人的補償で広島に移籍した赤松は、その年、巨人戦で2試合連続"初回先頭打者本塁打"を放ち、「広島に赤松あり」を全国に知らしめた。また2010年には、横浜(現・DeNA)の村田修一が放ったホームラン性の打球を広島市民球場の外野フェンスによじ登りスーパーキャッチ。海外メディアでも取り上げられるなど、大きな注目を集めた。この年はリーグトップの10補殺も記録し、ゴールデングラブ賞を受賞した。

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