田中正義は新天地・日本ハムで輝けるか。人的補償が「野球人生の転機」となった5人の男たち (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Kyodo News

 移籍後はおもに1番打者として活躍し、7年連続2ケタ盗塁も記録。2016年にはチーム25年ぶりとなるリーグ優勝の美酒に酔ったが、そのオフに胃ガンが見つかり手術。懸命のリハビリを経て、2019年に1試合だけ一軍復帰。奮闘する姿は多くのファンを勇気づけた。

【2年連続盗塁王のタイトル奪取】

 1993年にドラフト4位で広島に入団した福地寿樹は、2000年から4年連続2タケ盗塁を記録するなど足を武器に頭角を現したが、たび重なるケガでレギュラー奪取はならなかった。

 2006年3月にトレードで西武に移籍した福地は、同年85安打、25盗塁を記録するも、生え抜きの若手だった栗山巧を育成する方針を固めており、ここでもレギュラーの座をつかむことはできなかった。

 そんな福地に転機が訪れたのが2008年、石井一久の人的補償でのヤクルト移籍だった。

 当時のヤクルトは、レフトを守っていたアレックス・ラミレスが巨人に移籍。さらに神宮球場のフィールド拡張もあり、高田繁監督(当時)は"スモールベースボール"を掲げた。そして高田監督が「球場が広くなるところに俊足好守の福地がプロテクト枠を外れていて、ウチにとっては幸運だった」と語ったように、ヤクルトにとっても最高の戦力補強となった。

 その期待に応えるように、移籍1年目から155安打を放ち、打率.320。さらに42盗塁をマークし盗塁王のタイトルも獲得。翌年も盗塁王に輝くなど、リードオフマンとして活躍した。2012年には通算1000試合出場を果たし、史上44人目の通算250盗塁も記録した。

【チームをまたぎ2年連続日本一達成】

 社会人時代に在籍する野球部が休部の憂き目にあうなど、苦労を重ねた岡本真也だったが、2004年の落合博満監督の就任1年目、最優秀中継ぎ投手に輝くなど、貴重な戦力としてチームのリーグ制覇に貢献した。

 だが西武との日本シリーズでは、ピンチでアレックス・カブレラを迎え、落合監督から「まだいけるか?」と問われた岡本は「いけます」と続投するも、満塁弾を浴びてしまった。

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