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群馬しか知らなかった人見知り少年が侍ジャパン相手にも堂々。井上温大が目指す巨人の左腕エースへの道 (5ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sankei Visual

── 自分から動くのは、今も苦手ですか?

井上 はい。プロ1年目が終わった時に当時三軍コーチだった山口鉄也さんから「行け」って言われて、内海哲也さん(元西武ほか)の自主トレに行かせてもらったんです。その時も最初は「うわ、どうしよう......」と思っていて(笑)。

── 人見知りが発動してしまったわけですね。

井上 違うチームの大先輩ですし、初めて会う人でもあるので。でも、行ってみて本当によかったなと思えました。どんな練習をすべきか、そして継続できるか。その大切さを教えてもらいました。内海さんも自分に気を遣って話しかけてくださって。

── 今永投手の自主トレへの参加は、今度は自分の意志ですよね?

井上 はい。今、日本にこんなにすごい左ピッチャーがいるのに、行かないのはもったいないなと。どういう感覚でストレートを投げているのか、チェンジアップの意識とか、食事とか、トレーニング法とか、いろいろな話を聞いてみたいですね。

 そう語る井上を見ながら、人見知りの井上とはまた別に好奇心旺盛な井上の素顔を思い出していた。高校時代の井上も、同世代で同じサウスポーである宮城大弥(オリックス)や及川雅貴(阪神)の話題に強い関心を示し、逆質問をしてきたものだった。

 プロで早くも確固たる実績を残す宮城に対して、今は「テレビで見る人みたいな感じ」と苦笑する井上だが、その対抗意識は今も燃え盛っている。

 かつて群馬しか知らなかったサウスポーは、3年間の紆余曲折を経て、その殻を破ろうとしている。

井上温大(いのうえ・はると)/2001年5月13日、群馬県生まれ。前橋商から19年ドラフト4位で巨人入団。1年目はファームで10試合に登板し、2年目の21年はファームの開幕投手に指名されるなど順調なスタートを切ったが、5月に左ヒジを手術。22年は育成からの出発となったが、7月に支配下登録されると、9月23日の中日戦でプロ初勝利を挙げた。

【著者プロフィール】菊地高弘(きくち・たかひろ)

1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

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