吉井理人と山本昌が語り合う幻の移籍話「星野監督からマサより給料は出せないけどなって」「じつは僕もメジャーから...」 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Igarashi Kazuhiro

吉井 えっ、そうだったの? もし実現していたら、同じタイミングで、アメリカでプレーすることになっていたんだ。

山本 あの時は「どうしようかなぁ」と思ってね。非公式だったけど、ドラゴンズに所属していた外国人選手を通じて、金額の提示も受けて、「えぇ、そんなもらえるの、どうしよう?」と思っていたけども、星野監督の手前できなかった(笑)。だから、吉井監督のアメリカでの活躍はすごくうれしかったですよ。

【現役時代の思い出】

山本 あと、一緒にタイトルを争ったこともあったよね。97年だったかな、防御率のタイトル争いをしましたよね。ドラゴンズの最終戦が終わった時点で僕がトップだったんです。その時にヤクルトの吉井投手、田畑(一也)投手、そして広島の大野(豊)さんの4人で争っていたんだよね。

吉井 それでヤクルトと広島の直接対決があって、「もう勝負決めにいったろ」と思って先発したら、広島打線につかまってしまって(笑)。「これ以上、点をとられたら防御率が3点台になっちゃうから、もうやめとけ」ってピッチングコーチに引きずり降ろされたんですけども。それ、よく覚えてるわ。

山本 それで、次に田畑くんがいったんだよね。でも、田畑くんも点をとられて、大野さんが3イニングぐらい投げて、逆転した。それまで僕は1位で終わっていたんだけども、大野さんに抜かれて、結局2位に終わったんですよ。

吉井 現役時代の晩年に、僕ら40歳を超えて、ナゴヤ球場で真夏に投げ合ったこともあったよね。

山本 気温が30度を超えてね。僕ら2人で投げ合うことになったんだけど、試合前に「場内を沸かすために、お互いにフルスイングで三振しようや」って話したよね(笑)。ものすごく暑いなかで、吉井さんも僕もバットとボールがこんなに離れているスイングで「ブーン」って三振したんだよね。吉井監督がフルスイングしてくれて、思わずマウンド上で笑っちゃった(笑)。

吉井 あの日は、かなりお客さん観に来てくれていたよね。アメリカから日本に戻ってきて、オリックスに復帰してからの二軍戦でね。当時の二軍はサーパスだったんですけどね。

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