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吉井理人と山本昌が語り合う幻の移籍話「星野監督からマサより給料は出せないけどなって」「じつは僕もメジャーから...」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Igarashi Kazuhiro

吉井 小野はすぐ一軍に上がったよね、1年目から。僕はまったく一軍で活躍するイメージが湧いていなかったので、「とっとと辞めて違うことしよう」って考えたんですね。でも、日米野球で大リーグを初めて見て、「もうちょっと真面目にやろう」って。そこからかな、変わったのが。それが3年目ぐらいの時だったかな。

山本 その頃は、パ・リーグの方が同級生で早く台頭してきたピッチャーが多かったんだよね。(渡辺)久信とか、星野伸之とか小野和義、加藤伸一とか。このあたりが先にバーッて出ていってね。吉井監督がどう思っていたのかはわからないけど、「オレは出遅れているな」っていうのはすごく感じましたね。僕がプロ初勝利した時、久信はもう40近く勝っていたんで、僕はかなり出遅れていましたね。

【巨人だけには行くなよ】

── リーグは違いましたけれど、それぞれのチームで活躍し始めた頃、お互いのことを「どういうピッチャーだ」と評価していましたか?

山本 吉井監督は、高校時代に甲子園でも投げていたし、「ボールの力もあってコントロールがいいな」っていう認識でしたよね。実際にピッチングをよく見るようになったのは吉井監督がスワローズに移籍した95年からですね。同一リーグになってからは、「やっぱり、すごいな」っていうことをすごく感じましたね。

吉井 じつは97年のオフ、フリーエージェント(FA)でメジャーに行く時にドラゴンズからも誘いがあったんですよ。当時監督だった星野(仙一)さんに、「おまえ、巨人だけは行くなよ」と脅されましたね(笑)。で、僕が「メジャーに行きます」って言ったら、すごい応援してくれてね。その時、星野さんに「でも、うちに来たとしてもマサ(山本昌)よりは給料出せないけどな」って言われたんですよ。「あぁ、中日でも大エースなんだろうな」って、そういう印象はありましたね。

山本 へぇ、そんなことあったの? 知らなかった。僕もFAの権利をとったけど、星野監督が怖くて出られなかったな(笑)。ちょうど97年に最初のFA権をとったんですけど、翌98年からメジャーリーグでデビルレイズ(現・レイズ)とダイヤモンドバックスが新設されることになって、両チームから誘いがあったんです。

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