石毛宏典は西武の指揮官・辻発彦をどう見ていたか。「いいさじ加減」ができていたが、松井稼頭央新監督に課題も残した

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

石毛宏典が語る黄金時代の西武(5)
辻発彦 前編

(前編:辻発彦は西武に入団してすぐバットを短く持つようになった。黄金世代の「鉄壁セカンド」が育つまで>>)

 不動のリードオフマンとして、西武黄金時代の一翼を担った辻発彦氏(「辻」は本来1点しんにょう)。後編では、1987年の巨人との日本シリーズで見せた伝説の走塁、6シーズン務めた西武の指揮官としての姿などを石毛氏が語った。

2022年限りで監督を退任し、ファン感謝デーで源田壮亮(左)から花束を贈られた辻発彦氏2022年限りで監督を退任し、ファン感謝デーで源田壮亮(左)から花束を贈られた辻発彦氏この記事に関連する写真を見る***

――インタビュー前編で、辻さんがプロ入り後にバッティングスタイルを変えたお話がありましたが、辻さんと言えば内角の球を逆方向、それも一塁線をギリギリで破るような打球を狙い打っていた印象があります。

石毛宏典(以下:石毛) 逆方向に打つことを徹底していた一方で、インコースの球に狙いを定めて思いきり引っ張って、ホームランや三塁線を破る打球を打つ、といった駆け引きもありましたね。

――走塁面では、相手の隙をつくような走塁が際立っていました。

石毛 象徴されるのが、1987年の巨人との日本シリーズですね。秋山のセンター前ヒットで一塁から一気にホームに還ってきましたが、(ウォーレン・)クロマティの緩慢な守備の隙を突いての好走塁でした。

――辻さんもそうですが、チーム全体として走塁の意識が高かったように思います。

石毛 それは伊原春樹コーチの教育ですよ。走力のある・なしにかかわらず、全選手にひとつ先の塁に進む意識を徹底させていましたから。辻は私と同じで、特別に足が速いわけではなかったけど、お互いにプロ通算で240個くらい盗塁しました(石毛:243個、辻:242個)。辻は考えて走塁ができるし、隙を突く走塁ができる。相手にそういったイメージを強く持たれる選手だったと思います。

――教育といえば、石毛さんが広岡さんを「恩師」と言われているように、辻さんにとっても大きな存在だったと思います。

石毛 辻が広岡さんの指導を受けたのは2年間(プロ入り3年目の1986年からは森祇晶が西武の監督に就任)という短い期間でしたが、それでもプロ入り時には徹底した技術指導を受けて、1985年にはリーグ優勝を経験しました。
先ほども話したように、辻はいろいろなことを感じ取れる人間ですから、先輩の私が広岡さんに鍛えられてレギュラーになり、チームを牽引する存在になっていたこともわかっていたはず。それで、彼も守備の反復練習でみっちり鍛えられてセカンドのポジションを確保できたわけだから、感謝や尊敬の気持ちはあるんじゃないかな。

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